2011年2月28日のNHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回 "熱狂”はこうして作られた」を昨日見ての雑感。
1931年中国の奉天郊外で、南満州鉄道の線路爆破事件に端を発した満州事変以後、戦争に向かったのは、新聞各社と日本放送協会が軍と結託して国民を欺き、政治家が熱狂した国民に動かされた。メディアは自分たちが世論を作り、自分たちが捏造した世論に自らも呪縛され戦争に加担した。
誰も責任を取ることなく、「敗戦」ではなく「終戦」と反省すらなく(無責任):現在に至っていると考えます。
ちょっと気になったのは、陸軍参謀本部作成課長今村均が朝日新聞の緒方竹虎に会い、軍内部の実情を4時間余りに渡り伝えたとの証言者のテープが流され、その証言者は「その時、緒方は、よく分かったと言い、その後、朝日新聞の論調がコロッと変わった」と。
武野武治氏(存命だったとは、失礼)が証言者のテープ見て「これ使う。」と制作スタッフに確認したシーンがありました。
更に「コロッと変わった。」と。
その後に、「いや、あったと思うね。いや、もっと言うなら『国益』ですよ、それはやっぱり、それはもう『国益』ですよ。」と続きました。
更に、「真実をちゃんと明らかにして、間違ったものなら間違いを正すという方向へ行かせなかったのだと思います。」と語っていました。
語られていない、語られることのないジャーナリストの矜持が凝縮されていると思いました。
朝日新聞は1945年8月23日の「自らを罪するの弁」で戦争責任について国民に謝罪しました。
また、1945年11月7日に「国民と共に起たん」という社告を掲載しました。全文を引用します。
支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の果したる重要なる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣営をもって、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである。
今回、村山社長、上野取締役会長以下全重役および編集総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至ったのは、開戦より戦時中を通じ幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果し得ず、ついに敗戦にいたり、国民そして事態の進展に無知なるまま、今日の窮境に陥しめた罪を、天下に謝せんがためである。
今後の朝日新聞は全従業員の総意を基調として、運営さるべく、常に国民とともに立ちその声を声とするであろう。いまや狂瀾怒濤の秋、日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである。
朝日新聞社
その後、責任を取ったはずの役員が復活しています、無責任の典型です。
(2011.05.04記)
典型的な親米保守派の経済記者であった朝日新聞社主筆船橋洋一が2010.12.15付けで退社し、主筆の後任に政治部記者若宮啓文が2011.05.01付けで就任しました。
若宮啓文は、イラク戦争に反対する論陣、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判するなどリベラル派と言えますが、朝日新聞自体が脳髄喪失状態ですから ・ ・ ・
朝日新聞社主筆船橋洋一に問い合わせのメールを出しましたが(当ブログ「赤字の朝日」2010.12.26)、回答はありませんでした。
回答が無いことは指摘が図星だったと考えます。
(2011.05.05記)
1931年中国の奉天郊外で、南満州鉄道の線路爆破事件に端を発した満州事変以後、戦争に向かったのは、新聞各社と日本放送協会が軍と結託して国民を欺き、政治家が熱狂した国民に動かされた。メディアは自分たちが世論を作り、自分たちが捏造した世論に自らも呪縛され戦争に加担した。
誰も責任を取ることなく、「敗戦」ではなく「終戦」と反省すらなく(無責任):現在に至っていると考えます。
ちょっと気になったのは、陸軍参謀本部作成課長今村均が朝日新聞の緒方竹虎に会い、軍内部の実情を4時間余りに渡り伝えたとの証言者のテープが流され、その証言者は「その時、緒方は、よく分かったと言い、その後、朝日新聞の論調がコロッと変わった」と。
武野武治氏(存命だったとは、失礼)が証言者のテープ見て「これ使う。」と制作スタッフに確認したシーンがありました。
更に「コロッと変わった。」と。
その後に、「いや、あったと思うね。いや、もっと言うなら『国益』ですよ、それはやっぱり、それはもう『国益』ですよ。」と続きました。
更に、「真実をちゃんと明らかにして、間違ったものなら間違いを正すという方向へ行かせなかったのだと思います。」と語っていました。
語られていない、語られることのないジャーナリストの矜持が凝縮されていると思いました。
朝日新聞は1945年8月23日の「自らを罪するの弁」で戦争責任について国民に謝罪しました。
また、1945年11月7日に「国民と共に起たん」という社告を掲載しました。全文を引用します。
支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の果したる重要なる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣営をもって、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである。
今回、村山社長、上野取締役会長以下全重役および編集総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至ったのは、開戦より戦時中を通じ幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果し得ず、ついに敗戦にいたり、国民そして事態の進展に無知なるまま、今日の窮境に陥しめた罪を、天下に謝せんがためである。
今後の朝日新聞は全従業員の総意を基調として、運営さるべく、常に国民とともに立ちその声を声とするであろう。いまや狂瀾怒濤の秋、日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである。
朝日新聞社
その後、責任を取ったはずの役員が復活しています、無責任の典型です。
(2011.05.04記)
典型的な親米保守派の経済記者であった朝日新聞社主筆船橋洋一が2010.12.15付けで退社し、主筆の後任に政治部記者若宮啓文が2011.05.01付けで就任しました。
若宮啓文は、イラク戦争に反対する論陣、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判するなどリベラル派と言えますが、朝日新聞自体が脳髄喪失状態ですから ・ ・ ・
朝日新聞社主筆船橋洋一に問い合わせのメールを出しましたが(当ブログ「赤字の朝日」2010.12.26)、回答はありませんでした。
回答が無いことは指摘が図星だったと考えます。
(2011.05.05記)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます