僕は、走り回るのが大好きです。
農道がいつもの散歩コースのひとつですが、その先に草むら(?)があり、自由に走り回れます。
彼(旦那)が「来い!」と呼ぶまで走り回ったり、ゴロンゴロンしたりします。
彼は、飛ぶように走っている僕が素晴らしいと、写真に収めようとしますが、何時も失敗しています。
いつもの8月の恒例の行事がやってきました。
8月15日は終戦なのか敗戦なのか、捕らえ方の違いであの戦争の認識の分岐点になると考えています。
敗戦を認めることは、日本人の自己同一性を否定することではないのですが、敗戦は日本の文化、伝統を否定されると論陣を張る人の多いこと。
A級戦犯の孫が「負けた責任はある。」と多弁に語っていますがその責任の内容については語りません。国を存亡の危機(幸いにして分割統治は免れましたが)に晒した責任について語って欲しいものです、多分一言も言えないと考えます。
二百数十万の戦死は犬死だったのでしょうか。この類の人々がそう言っているように思えてきます。
90歳にならんとしている父は、戦地(満州)でのことは一切話しません。
ただ一言「戦争はだめだ!」だけです。
農道がいつもの散歩コースのひとつですが、その先に草むら(?)があり、自由に走り回れます。
彼(旦那)が「来い!」と呼ぶまで走り回ったり、ゴロンゴロンしたりします。
彼は、飛ぶように走っている僕が素晴らしいと、写真に収めようとしますが、何時も失敗しています。
いつもの8月の恒例の行事がやってきました。
8月15日は終戦なのか敗戦なのか、捕らえ方の違いであの戦争の認識の分岐点になると考えています。
敗戦を認めることは、日本人の自己同一性を否定することではないのですが、敗戦は日本の文化、伝統を否定されると論陣を張る人の多いこと。
A級戦犯の孫が「負けた責任はある。」と多弁に語っていますがその責任の内容については語りません。国を存亡の危機(幸いにして分割統治は免れましたが)に晒した責任について語って欲しいものです、多分一言も言えないと考えます。
二百数十万の戦死は犬死だったのでしょうか。この類の人々がそう言っているように思えてきます。
90歳にならんとしている父は、戦地(満州)でのことは一切話しません。
ただ一言「戦争はだめだ!」だけです。
ワンちゃん&時事ネタは、とてもいい構成と思います。写真がいい。心和みます。
「言葉」使いは、思想性を表します。終戦と敗戦などその見事な例です。
根底的で展望のある物言いをしていきたいと思っています。
時々、おじゃまします。