Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

「保守」の仮面

2015-08-30 10:37:35 | 走り書き

今日「国会10万人・全国100万人大行動」が行なわれます。国会10万人大行動は、午後2時からです。

59,60年、70年の「安保闘争」と質的に異なる運動になっているのではと考えています。


『ポツダム宣言の呪縛?』(2015.08.12up)において、佐伯啓思の著作を何か一冊とメモしましたが、「従属国家論」 (PHP新書)に目を通しました。

佐伯啓思の「異論のススメ」は今年4月から月一回掲載されていますが、同連載は『原則論を展開し、原則が現実とはならない、私は原則論しか言えない』の旨に貫かれていると考えています。

「従属国家論」の基本的なスタンスは、「ポツダム宣言、日本国憲法、TPP、安倍政権、集団自衛権」等多岐に渡り述べ、「敗戦、東京裁判、新憲法、日米同盟」によりこの島国は米国の「従属国家」となっている。


原則論を論じ現実に疑問を連ね、自らは「私は原則論しか言えない」と述べながら執拗に拘り続ける様は、佐伯啓思自身が嫌悪する「現実」への「感情」を、観念的な反駁で満足しているからと考えます。

「従属国家論」 (PHP新書)

* *

『ポツダム宣言の呪縛?』で、「大日本帝国(大本営)そのものを「不問」とし、このような大日本帝国に『米国的歴史観にまで「無条件降伏」する必要はない』と述べることに、読み取るべき事柄は皆無と考えます。」とメモしました。

同書において、米国の正義「自由、平等、民主主義」の再検討が必要であり、日本の精神(価値観)として「特攻隊」について述べ「諦念と覚悟」を引き継がねばならないと、同書を結んでいます。

ですから、「特攻隊」を生み出した「大日本帝国(大本営)」の狂気を「不問」』とせざるを得ないのです。

保坂正康は「特別攻撃隊で亡くなった4千人近くのうち7,8割が学徒兵や少年飛行兵で、軍事指導者はその理由を『軍人一人をつくるのに多額の金がかかる、学徒兵や少年兵に金を使っていない』と答えた」(道新2012.08.15「過去の教訓伝える責任」より)

また、「特別隊基地の整備兵(学徒兵)の話しとして『出撃命令が下ると特攻隊員の多くは失神、号泣、錯乱し、整備兵は動こうとしない兵士を操縦席に運び込んだ』」(朝日新聞出版「復刻アサヒグラフ昭和二十年」より)と述べています。

ここに特攻隊員の「諦念と覚悟」を見ることはできません。


* * *

そもそも日本の精神として「諦念と覚悟」なんて、明治維新以降のでっち上げと考えます。

中世から明治新政府までの様々な一揆(政治的共同体)、長らく続いた江戸時代の平和ボケ(?)、それより起点は定かではありませんが、縄文、弥生、古墳のころより風土、生活習慣に基づき森羅万象(自然現象等)が信仰、畏怖の対象であり、この島国の人々の基底にあり続けていると考えます。(記紀において「八百万の神々」「八十神」と。)

また、天皇の葬儀・供養は仏式で営まれ(平安から江戸)、神式で営まれるのは明治以降(明治新政府による「国家神道」の採用)のことです。

佐伯啓思の「日本の精神(伝統)」は、大西瀧治郎海軍中将(1945.0816自決)が創設した神風特攻隊に「諦念と覚悟」を見て、「自己犠牲」の精神を伝統いわゆる明治時代が日本の精神(伝統)そのものと思い込んでいるだけで、「保守」ではなく単なる右派(右翼)の輩に過ぎないと考えます。


蛇 足

アヘ首相の解釈改憲について、同書112Pに『もっとズルイのは「解釈変更するなら堂々と憲法改正すべきだ」というサヨクの諸氏です。それ自体は正当な主張でしょう。』と述べながら、憲法改正を阻んできた者が述べるのはあまりにもみっともない、と切り捨てています。

ここに佐伯啓思のズルサがあります。

サヨクの諸氏は憲法前文、9条の憲法改正は国会決議、国民投票で否決される確信を持っていることをスルーし、「正当な主張」に真摯に向かわず「みっともない」と切り捨てることにより、アヘ首相の解釈改憲を擁護しています。

 


「従属国家」のこの島国の佐伯啓思は、米国に「憤り・怨恨・憎悪・非難等の感情」(いわゆるルサンチマン)を持っており、それを吐露しているだけで「保守」の仮面を被った「ウヨク」の輩です。




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