Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

憲法記念日

2015-05-04 10:23:46 | 憲法・非戦・平和

佐伯啓思(前京大教授)の「異論のススメ」(朝日4/3、5/1以後連載予定)を興味深く読みました。

佐伯啓思は、『本当に「戦後70年」なのか』(4/3)と述べ、サンフランシスコ講和条約の発効した1952.04.28に戦争が終結したのだから「戦後63年」であると。

ここに大きな問題があり、連合国の「占領下」にあり主権が剥奪されており、『押し付け』云々ではなく、憲法の実質的な正当性に係わる事だ、と。

このように述べられても肯首することはできません。
侵略戦争に負け、ポツダム宣言を受諾し「敗戦」した結果、「占領」された事実を疎んじているからです。

また、同宣言において「民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除されるべきこと。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること。」(第10条)と宣言されており、「大日本帝国憲法」と相容れず、憲法改正の法的義務を負うことになりました。

マッカーサーが東久邇宮内閣の近衛文麿国務大臣に、憲法改正を示唆(1945.10.04)したが、政府はポツダム宣言での内容を受諾しておきながら、宣言の内容に基づく憲法改正案を作成できなかっただけのことです。
民間の憲法研究会の「憲法草案要綱」にGHQが注目して「GHQ憲法草案」が示され、政府、国会で検討、審議され、1946.11.03に公布されました。

ただ、佐伯啓思は「日本国憲法は無意味であり、無効でした、などというわけにはいかない。戦後68年、われわれはそれを擁してきた、という事実は消せるものではない。原則論がそのまま現実論になるわけではない。」と、保守の本領を述べています。

実家裏の桜(5月1日撮影)

日本国憲法の三大要素「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」は、約310万人の戦没者(海外の戦没者240万人のうち140万人は餓死)の未来への遺産と考えています。

為政者にとって自らの権力を制限する「日本国憲法」は、「押し付け」以外の何物でもなく「仇」なのでしょう。


追 記

今朝の朝日「改憲論議を問う」に、佐伯啓思の弟子柴山桂太(京大院准教授)が「現憲法の解釈変更 現実的な道」の旨のインタビュー記事が掲載されました。

内容は略しますが、ただひと言「我が子を戦死」させたいのでしょうかねぇ。