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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

PEN LIFE438. 五山送り火

2012年08月16日 | Kyoto city
 今日の京都は、五山の送り火であった。断っておくが五山の送り火とは、観光イベントではない。れっきとしたお盆の宗教行事である。
 お精霊(しょらい)さん達が、年に一度地上界へおりてきてお盆の行事が成立する。やがて如意が岳、松ヶ崎の西山と東山、西賀茂の舟山、大北山、嵯峨野の曼陀羅山の五山で火がともり、お精霊さんと呼ばれる死者の魂をあの世へ送り届けるのが、五山の送り火である。
 京都は、平安遷都1200年の歴史がある。その間にこの土地で亡くなった膨大な人々の数は数えようがない。そればかりでなく応仁の乱の戦場になり街が壊滅したこともあった。江戸末期には、維新派と幕府派で多くの争いがあったことも歴史が教えるとおりである。
 だからこそ、膨大な数のお精霊さん達を迎え、そして再びあの世へ送り届ける、五山の送り火がこの街の重要な行事になっているのである。私達としては、静かに手を合わせ、お精霊さんをお送りするのが筋だろう。
 日本の都市というのは、見方を変えれば膨大な死者の場でもある。だからこそ、お盆があり、送り火でお精霊さん達をお送りする行事が、都市という単位であっても不思議ではないと思うが、実際にそのような行事は他の大都市では行われていない。歴史ある先祖を粗末にすると、都市に災いあってもしらんよと、人ごとながら思うけど。
 さて、五山の送り火は、祇園祭から続いた盛夏の終わりである。まだまだ暑さは続くが、私の意識からは夏が消え去り、明日からは秋である。

京都市,2012年8月16日
OLYMPUS OM-D E-M5, LEICA DG MACRO ELEMARIT45mm,f2.8
ISO1600,露出補正-2.0,f3.5.1/3,
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PEN LIFE437. つれづれと・・・

2012年08月15日 | Kyoto city
 ブログも、まとめ書きをして数日分ストックしていた。いざ、それを使おうとして読み返すと、つまらなさが先に来る。結局まとめ書きは没になる。
 つまりは、無意識のうちに推敲されているのだろう。当初は頭が熱くなって書いていても、時間が経つと、非論理的だったり、つまらん内容だと思う。つまり熱がさめたということか。
 このブログも5年続いた。よく書いたと思うが、雑文ばかりで、これじゃ本にもならないし、あとで読み返すと、つまらなさが先にくる。熱がさめたというべきか。
 ブログも書き始めて5年たったからというわけではないが、これからは文章を短くしよう。たまには、1行ぐらいで。たまには、しばらく休んでみたり。あるいはブログを終了したりして。
 先のことはわからないが、ブログもさしあたり人並みにお盆休みでもしようか。
 そんな風につれづれと考える。

京都市,2012年7月29日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG14-150mmF4-5.6
ISO200,焦点距離34mm,露出補正-0.3,f7.1.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE436. 変則的な天気

2012年08月14日 | Kyoto city
 お盆の最盛期である。普段顔を合わせない人々が集まり、宴たけなわの頃だろうか。私にとっては静かな平日である。蝉の声とともに時間が緩やかに流れてゆく。街全体が時間の流れが緩やかである。
 だが昨日は、時折雨が断続的に降るという、この季節としては変則的な天気だ。雨が降ると暑さはしのげるかと思ったが、湿気で蒸し暑いという変則的な天気だ。こうなると、大学の研究室でエアコンを効かせ閉じこもっているのが、よさそうだ。
 そうこうしていると、地域プロジェクトでCMを制作している連中達から音声のテープ案が早朝に届いた。早速リプライをだす。朝の5時前だ。この時間は、そとの方が涼しい。大学も院生ぐらいになるとお盆休みは関係なく、徹夜で作業をしていたのかしらん。暑いからスタジオにこもっているほうが正解なのだろう。
 そのうち私のゼミのOB達からもメールがきた。
はて!・・・。
 ああっ、また雨か・・・・。

京都市,2012年8月1日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG17mmF2.8
ISO1250,焦点距離34mm,露出補正-0.3,f2.8.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE435. 憧憬的風景

2012年08月13日 | Kyoto city
 今週一週間は、曇り空と雷の予報が毎日続いている。京都は、地表と雲に遮られた都市の熱気が毎日蒸しかえるように暑い。雷雲とともに、ざざっと雨が降ってほしいというのは京都人共通の思いだ。一雨来れば、古都の路地沿いの雨に濡れた町屋は大変美しく、私の好きな風景の一つである。ただし画像は梅雨時の撮影である。
 この画像は美観地区でもあるけど、生活感が漂う物干し、密集した路地の民家群に屋根をたたく程の激しい雨が 降っている、私の好きな画像の一つである。
 子供に頃にイメージした風景の記憶というのがある。それは一つではないが、 多分映像や旅先で垣間見た中から、こんな風景が示す環境も面白いなという印象が、記憶の底に沈殿し、やがて歳を経て実はそういう憧憬的風景の中に偶然今自分が暮らしていたりする。人間は、そうした憧憬的風景に無意識のうちに引きずられているのかもしれない。
 そう考えていたら、本当に雨が執拗に降ってきた。今週は天気と雨と蒸し暑さが入り交じり、悩ましい天候だ。この時期にしては珍しい。天候不順となると憧憬的風景などと暢気なことを言っている場合ではないか。

京都市,2012年7月21日
OLYMPUSPEN E-P3, LEICA DG MACRO-ELEMARIT45mm,f2.8
ISO200,露出補正-0.3,f4.5.1/160
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PEN LIFE434. オリンパス暮らし

2012年08月12日 | Kyoto city
 日曜日は、パソコンのデータ整理だ。mobile meがなくなったので、「ねこじゃらし」というサーバーに乗り換えたが、データ未整理であった。なんとも時間のかかる地味な作業だが、やっておかないと不便きわまりない。そういうときの気分転換は、道楽へ。 
 日曜日の道楽、といってもお盆休みだからことわる必要もないが、デジタルペン&OM-Dのボディで5台になってしまった。そうなると使わないボディが登場する。少しこちらも整理しようかと考えた。
 まずEP2は大学の機材だからお返しする。だが初代ペンを彷彿とさせるシンプルなデザインは捨てがたい魅力がある。これを17mmのパンケーキレンズ用の専用ボディとするのもおつだ。これと一緒に調達した14-150mmレンズは便利だったが、鏡胴のデザインが古い上に、最近出番がない。ズームレンズを使わなくなった。
 E-PL1は小さくて、しばしば山などに持参したが、ライツ・ズミクロンがよく似合い、ファィンダーの拡大も容易でありマニュアル用ボディとして捨てがたい。コントラストの低い時に使えるこれライツ専用ボディとするのも一方だ。
 さらにシルバーカラーのE-PM1は最軽量だが、使っていて面白くない。その原因は液晶ファインダーVF-3にある。やはり解像度が低すぎる。ただしこのファィンダーはクリック・ストップがつくなど使い勝手はよい。実はこれより上位のVF-2というファィンダーは解像度が高く優れものなのだが、クリック・ストップがないので、知らないうちにボディから外れ紛失した経験がある。だから是非VF-2にクリックストップをつけて欲しいのだが。ただし12mm/F2.0のシルバーレンズには、E-PM1によく似合う。
 そういえば一度も使わないレンズがある。14-42mmの標準ズームレンズだ。これはフタ代わりだけど、どうしよう。
 こうやって整理すると、手元にはOM-DとE-P3だけ残る。 次世代PEN EP4が優れたデザインで登場してきたらE-P3を売却しようと思うぐらいに、この機種は愛着がわかないのが不思議とか、さらにリーニュクリールがないのが残念とか、意識は千々に乱れ、 それぞれにこだわりのある機材を整理できるだろうか?。それ以前に私の頭を整理した方がよさそうだ。
 そういえば、このブログ小見出しがOM-Dを使いながらPEN LIFEというのも少し変だが、PENから始まったという理解なので、厳密に考えることもあるまい。
 PENから始まった、オリンパス暮らしは、まだまだ続きそうだ。あら!、パソコンのデータの整理を忘れていた。

京都市,2012年7月29日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG14-150mmF4-5.6
ISO200,焦点距離34mm,露出補正-0.3,f7.1.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE433. 夏は夜、再掲!

2012年08月11日 | Kyoto city
 京都人の感覚から言えば、夏の最盛期は祇園祭の山鉾巡行に始まる。実際に山鉾巡行の時に夏の空になって梅雨明け宣言が出されることが多い。
 フィナーレは天空からやってきた精霊達がお盆を楽しむ。例えば六道珍皇寺の六道参りの祭は、天空からやってきた精霊達の宴会のようだ。そして精霊達が天空に戻る五山送り火で夏が終わる。精霊達とともにある京都の夏の行事は、季節感をよく捉えている。
 だから今が夏真っ盛りだ。台風の余波で涼しい日があったりしたが、やはり暑い毎日である。だから「夏は夜」が良い、といった清少納言の枕草子の冒頭を思い出す。
 私は、お盆休みの時におおいに夜更かしをして朝寝坊をし、おそがけに大学に出かけエアコンを効かせて、昨日思いついた原稿を書いていると夜になる。そんな不健康な生活をしてみたいと思う。だが最近は仕事スケジュールもあり、朝早く起きて出かけ、夜早く寝てしまうのだ。どちらの生活も私には健康的だと思う。それにしても夏の清少納言は、朝寝坊だったのか。
 昨日は、研究室のデスクの上を整理して何もない姿に戻った。久しぶりに気持ちがよい。原稿が書ける環境になった。
 駅はどこも帰省客で大変人が多い。新幹線は満席に近いのだろう。私が乗った臨時列車でさえ8割の乗車率であった。大きなカートを引きずり疲れた顔をして実家に帰る姿は、少しノスタルジックだ。
 「実家に帰る」をエキサイトに翻訳させたら、”It returns to a parents' home.”とちゃんと理解した翻訳であったのは 最近の進化の故か。
 このブログも夏休みとしたいが、過去ログをみると大概夏は書いている。2007年8月16日から書き始めたので今年で調度5年目となる。
 日付を間違え早出ししてしまったので、すこし加筆して、再度掲載する。それでもまだ1日早い(笑)。

京都市,2012年7月29日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG17mmF4-5.6
ISO1000,焦点距離17mm,露出補正0.3,f2.8.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE432. 感傷的な夏の思い出かな!

2012年08月10日 | Kyoto city
 お盆が近づくと新幹線も人の移動で混んでくる。毎日新幹線通勤をしていると、そうした帰省族は大概カートを引きずり、私と鉢合わせする。彼らは得てして休暇でリラックスモードなのか旅慣れていないのか、私のような新幹線定期族とは、あきらかに行動のテンポが異なる。
 例えば、のぞみ号に乗ると、彼らはカートのためか大変緩慢に動き座席をあちらこちらと物色したり、ときには向きを変えて逆走したり、挙げ句の果てに荷物を棚に上げるために通路をふさいでくれたりする。私は、その後ろでイライラしているわけだ。そのうちに私が目指したその先の座席は埋まりといった具合に。さらには、子供が車内を走り回り、赤ん坊の鳴き声が響き、まずそうな駅弁の臭いが鼻をつく。つまりこの時期、通勤定期族にとっては、いささかうっとうしい時期でもある。
 だから私は、極力各駅停車のこだま号に乗るように勤める。時間はかかるが、空いていて車内の時間がゆっくり流れ、朝の珈琲がゆっくり飲めるからだ。
 街も次第に人が減り、お盆の季節が近づいてくるようだ。こういうときこそ、一人研究室にこもる良い時期でもある。本をたっぷり持参し、エアコンをたっぷり効かせパソコンに向かう、研究に疲れたらソファで本を読みながら午睡する。これがまた熟睡するようによく眠れるのだ。陽が暮れて暑さがやわらぐと、家に帰るといった具合だ。研究室というよりは、むしろ私の書斎である。
 そういうときにアーティストらの友人達が知多のリゾートマンションで飲み会などを企画してくれると、良い刺激になるのだが(笑)。
 そうだ!!、冬に投稿する大学の紀要原稿を、お盆休みに書こうと思いついた。秋は論文ラッシュになりそうなので、これは我ながら良いアイデアだと自画自賛。夏の最中に書くと感傷的な原稿になりそうだ。表題は、感傷的な夏の思い出かな!、それじゃ学術論文にならないか。
 夏というのは、どこか感傷的なはかなさを感じさせてくれる季節でもある。

京都市,2012年7月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG9-18mmF4-5.6
ISO500,焦点距離9mm,露出補正0,f4.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE431. 旅の始まり

2012年08月09日 | Kyoto city
 この4週間ほど、青森県郷土館とメールのやりとりをしている。昔の青森の街の写真を見たかったからだ。青森市という街は、かって仕事で関わったこともあり、私の意識にしっかりこびりついている。それに青森県人というのが、大変ユニークだ。そんな諸々の記憶があり、私にとっては大変意味づけのある街だ。
 青森を思い出したのも、実は昨日まで、ねぶた祭が行われていたからだろうか。いつも行きたいと思いながら、行きそびれる祭だ。ちなみに弘前では、ねぷた祭と呼ぶ。「ぶ」と「ぷ」の違いなのだが、そうした言葉へのこだわりが、私にはほとんど判読できない外国語のような青森弁を思い出させる。青森には友達もいるから、これも旅したいところの一つだ。
 そんなことを考えていると、青森の街をOM-Dのリーニュ・クレールのアートモードで撮影したいと、余計なことまで思いついてしまう。夏の終わり、それは祭の余韻が残りちと寂しすぎる、紅葉の時期か、それは人が多すぎる、雪の時か、リーニュクレールで雪はどのように映るのだろう、等とつらつらと。
 そんな風に旅の始まりは、いつも身近なところからイメージが膨らむようだ。

京都市,2012年7月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG9-18mmF4-5.6
ISO500,焦点距離17mm,露出補正-1,f5.6.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE430. 非日常的な旅

2012年08月08日 | Kyoto city
 藤枝の一寸いい夏を経験したので、いささか疲れ気味である。というか飲み疲れなのだけど。
 何がいい旅かと考えると、先ず仲間がいる、私の場合は、一癖のあるアーティスト達ばかりで、普通の人だったら大変疲れる人種達であり恐れおののくが、私は慣れているので普通に感じている。そんな輩が集まって酒と料理をたらふく食べながら無頼放言の限り。昔の同級生の女子学生達といってももう完璧な主婦だが、相手の迷惑をほとんど無視して突然電話をかけまくったりして、男7人集まるともう酒席千々に乱れて凄い。
 それから藤枝という普通の街、俳人の気配りで借りてくれたキッチンの付いていない不思議な新築マンションの一室。翌日は舞踏派のパフォーマンスがあり、彼がどこでどのように演じたのかは定かではないのだが、といったことだろう。つまり全部非日常的の世界なのだ。
 非日常的な世界であることは、リゾートの基本である。それがマイナーな街であれ、どこかの家であれ、成立する概念なのである。そこに旅の面白さがある。それがなければ、観光地でしかない。
 もう一つ非日常的な体験を思い出した。学生達と出かけた郡上八幡の徹夜踊りである。文字通り簡単な踊りを街中の四つ辻を中心にして、朝の五時まで踊るのである。踊り追えた朝の空気がとても気持ちよい。
 だから非日常的な世界=リゾートだけど、リゾート=観光地ではない。だから、私は観光地というのが嫌いである。それはカップルやファミリー等ででかけて、無理筋の満足をするという欺瞞的な世界だ。WEBに書かれてある旅館や料理の評価などどうでもよい話である。今の日本はどこで食べてもそこそこの味の店が多い。だからリゾートというのは、もっと私的概念と言ってよいだろう。先ずテイストを同じくする仲間がいなければ、すべては始まらないのである。
 さて私のブログは、データさえUSBメモリーに入れて持っていれば、どこのMacからでもアップデータできる日常的な世界だ。寺山修司風にいえば、「パソコンを捨てて街に出よう!」、そこから非日常的な旅が始まる。

京都市,2012年7月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG9-18mmF4-5.6
ISO500,焦点距離17mm,露出補正-1,f5.6.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE429. ちょっといい夏の旅

2012年08月07日 | Kyoto city
 昨日の月曜日は所用があって名古屋を往復した。午後暑い中を帰宅し戻ってMacを開くと、大学時代の同級生仲間の懇親会のメールを見つけた。日付をみると月曜日ではないか。再び出かける支度をして、夕方の新幹線に乗り込んだ。今日これで新幹線に乗るのは3回目。
 午後7時には、静岡県藤枝市についた。居酒屋で宴会がはじまっており、さっそく合流。仲間達の放言無頼の世界にしばし没頭していた。インスタレーション作家、 画家、彫刻家、俳人、グラフィックデザイナー、編集者など多士済々である。 明日は仲間のアーティストがパフォーマンスをするのを理由に集まったようだ。
 こういう集まりこそ、好企画であり、まさに夏の旅と呼ぶのに相応しい。だから盛夏の短い時間をいやというほど味わった。幸い主催者がマンションの一室を借りてくれたので、そこで二次会やらマイナーな街のキャバレー徘徊をする輩など、もう好き勝手な事をしながら、夜も更けていった。この瞬間いい夏だと思った。いい夏は突然やってくる。それも一寸近所に出かけるような気軽さで。
 夏の旅とは、一寸サンダルをつっかけて、近所にでかけるような気軽さで行きたいものだ。もっと彼らと夏のパフォーマンスを味わいたいところだったが、翌日大学の会議があるので、私は朝の新幹線で名古屋に向かった。ちょっといい夏の旅だった。

京都市,2012年7月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG9-18mmF4-5.6
ISO500,焦点距離17mm,露出補正-1,f5.6.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE428. 良い企画が重なる

2012年08月06日 | Kyoto city
 お盆休み、近場の温泉でも行くかと思いWEBを探した。天川伝説とやらで著名な洞川温泉というのが奈良県にあった。昔から山伏が利用した宿のような書き込みがあるが、はて。その割には宿泊の値段が高いよ。それに温泉は地下1000mも掘り下げて近年に湧出したものである。素朴さを売り出したプロモーションくさい。結局観光地というのものはこんな案配か。
 じゃあ、どうすればよいか。例えば、あなたの同級生から実家にこないかと誘われた。それが都会であれ、田舎であれ、どちらでもよい。そんな風にしてでかけられる至極普通の旅こそが最高のバカンスだ。そんな旅のつれづれに見聞きする知らない土地の空気こそが、最高に上手い。そこには、倦怠感と義務感あふれる観光地ファミリー族にはない、久しぶりに出会うコミュニティの親密さがある。
 実は、今日も大学時代の同窓生達から静岡県の藤枝で宴会をするから、こないかと誘われていた。アーティストが力を入れて用意しているらしい。ああっ、それ、是非行きたいところだ。だが、涸沢の方が先約であった。それに涸沢も、満足感高い。どうして良い企画が重なるのだろうと思った。
 お盆休みは、普段あうことのない人達の所へ出かける、というのが一番正解だと言える。そういう意味で帰省というのは、結構楽しいバカンスなのだと思う。帰省という普段あうことのないコミュニティの懐に触れあうということこそが最高のバカンスである。
 だから帰省先のない人達は、やむなく倦怠感あるいつものファミリーを引きずって、プロモーションくさい観光地にしぶしぶ出かけ、白けた気分にひたるのだろう。

京都市,2012年7月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG9-18mmF4-5.6
ISO200,焦点距離18mm,露出補正-1/3,f5.6.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE427. 一寸奥上高地へ

2012年08月05日 | Kyoto city
 土曜日の夜から一寸、奥上高地まで出かけた。こう暑くては、少しばかり山の空気を吸いに行くほかない。京都は大変暑いので、調度良い頃合いだ。
 毎年お盆休みが近づくと、どこにでかけようかとWEBを徘徊する。だが、全国の観光地はどうせ満員だし、満足度そこそこの割には料金がとても高い。結局馬鹿馬鹿しいという結論になり、最後は涸沢に落ち着く。
 涸沢は、標高2300mと寒いぐらいに涼しいし、、国立公園内である上に氷河によって削られた我が国唯一の大規模な景観があり、山小屋はまともだし、名古屋からだと山小屋二泊し交通費を含めても、観光地の上等旅館1泊分の値段よりは安い。さらに満足度は最高である。ただし自分の足で7時間ほどあるかなければならない。
 月曜日に所用があるので、今回は徳沢園まである。涸沢には、また時間のあるときにでかけよう。私などが思うに涸沢に上がれば、宿泊料金が高く満足度が低い日本の観光地など馬鹿馬鹿しくなって出かける意欲はない。
 朝の上高地は霧が池面をおおい、すこしばかり幻想的な風景がただよっていた。

京都市,2012年7月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG9-18mmF4-5.6
ISO6400,焦点距離18mm,露出補正-2/3,f5.6.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE426. 夕方の月

2012年08月04日 | Shinkansen commuting
 走る新幹線から滋賀県の夕方の月を撮影した。撮影の翌日は満月。今月は二回満月があるという。被写体がぶれているので水彩画に近くなったようだ。私としては、写真の世界から離れてゆくようで、好ましい結果である。
 リーニュ・クレールというモードは、シャッター速度1/60と変わらずに感度で適正露出を決めているようだ。画像のヒストグラムも色の三原色の値がとても高く、これがそうなのと思わせてくれる。
 これを撮影したときは日が沈み空が暗くなり出した夕方の終わり頃である。京都に着いたらすっかり夜になっていた。このモードは、普通の平凡な風景でも、絵にしてしまうので、なかなかの曲者である。
 それにしても水彩画のようにでも、撮影できるんだというのが新しい発見である。次第に絵画や版画と写真の世界のと境界線が曖昧になってくるところが、面白い。デジタルならではの世界である。そうなると画家であり写真家でもある作家だって登場してくる。つまりデッサンができるフォトグラファーとか・・・。
 従って写真という姿勢をかたくなに貫くというのは、フィルム時代の発想なのだろう。ところがデジタルでは、なんでも簡単にありの世界にしてしまう。
 ところで、実はもっと決まったアングルで月を撮影したのだが、誤って消してしまった。機材側での消去は、あまりしないほうがいいと痛感。

新幹線,2012年8月1日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG17mmF2.8
ISO2500,露出補正-0.3,f2.8.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE425. 知的テイスト・続き

2012年08月03日 | Kyoto city
 民俗学者宮本常一をはじめ、アカデミスト達にオリンパスの愛用者は多い。何故か、それはフィールド調査を行う人達だからだ。
 フィールド調査に何日も出かけるとなると、その間の着替えなどの諸々、ここまでは通常の旅人と一緒なのだか、これに加え野帳だの筆記用具だの測量などの機器や研究資料だのを加えると、荷物はグンと大きくなる。そんなときに荷物の隅にヒョィと納められる小さなオリンパスペンは、まことに重宝この上ない。
 そんな小ささであって性能は必要十分である。どこか無駄な贅肉を切り落としたところが、研究者の論文姿勢にも通じるようだ。そういう研究者と相性の良いところが、知的テイストなのである。
 これがC社やN社の大きな機材だと、もうカートには機材しか入りません。研究の道具などとても無理と言わんばかりである。そういうところが本末転倒していると私は思う。もちろんC社やN社にも言い分はあろう。そんなことであれば、ランドクルーザを借りればよいではないか。そうすれば、最高の機材がフルシステムで持参できまっせ、と言われているかのようだ。
 それは数少ない大変リッチな研究者の場合であって、私のように唯の教授であれば、やはり荷物は自分で担げる最小限に納めたいのである。そういうところをかなえつつ、大きな一眼レフに負けない記録性を持つのが、オリンパスなのである。それが私が言うところの知的テイストなのである。
 オリのほめ言葉が続いたが、欠点もある。昔からそうなのだが、巻き戻しクランクのピンが外れたといった具合に実につまらないところが壊れる。OM-Dも早速アイカップ紛失、メインダイヤルカバー外れるといった具合である。メインダイアルカバーの裏には何か薄い通電帯が見える。しゃあないから脇を瞬間接着剤でしこしこと。オリを使うときには、瞬間接着剤をいつも持参したほうがよいのだろう。

京都市,2012年7月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG9-18mmF4-5.6
ISO1600,焦点距離18mm,露出補正-0.7,f5.6.1/60,リーニュクレール
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PEN LIFE424. 知的テイスト

2012年08月02日 | Kyoto city
 オリンパスのアートモード、リーニュー・クレールの画像が、京都の空気をよく表現してくれる。
 それにしても夏のというのは、過去を思い出させてくれる。中学生の頃、オリンパスペンEESをもらって撮影の楽しみを覚えた。友人のオリンパスペンFが知的テイストだと思っていた。その後、私もペンFの友人もニコンマニアになってしまった。 私も友人もテイストよりは、ブランド的憧れの方が強すぎたたのだろう。
 今のニコン・デジタル機材にアートモードはない。あくまで写真分野の世界に固執しているかのようだ。そこが今の私には古くさく感じる。芸術の世界では各分野の境界領域というものが曖昧になりつつあるというのが、ウィットゲンシュタイン以降の考え方である。事実現代アートは、そのように動いてきた。
 アートの世界を学んだ人間の立場でみれば、リトグラフなど版画の世界では、写真を版画の素材によく利用するから、オリンパスのリーニュクレールは、抵抗感なく使っている。本来、写真とアートの境界線上にオリンパスのリーニュ・クレールがあるといってよい。
 版画では技法を工夫すれば、さらに多彩な表現も可能になるが、リーニュクレールはプログラムだから、現状以上のことは望めないが、アート&デザイン系の人間としては簡単にアート的画像が形成されるのは面白いと思っている。
 そんなことを考えると、ブランド的憧れではなくテイストで機材を選べば、若い頃から現在までオリンパスを使用していたかも知れない。
 いつも思うが、ニコンのようなブランド的憧れでもライカのような高級感でもない、どこか知的テイストの良さを感じさせるところがオリンパスにはある。
 つまりニコンのように写真の世界に固執したいとする19世紀的世界にこだわるのか、写真から離れた現代アート的表現に向かうかという話である。私は後者を支持するけど。そんなわけで通勤途上で撮影した京都の風景をアップする。

京都市,2012年7月28日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG9-18mmF4-5.6
ISO200,焦点距離18mm,露出補正-1.7,f5.6.1/80,リーニュクレール
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