
科学の世界に一般化という概念がある。反対概念は特殊化。大づかみにいうと、特殊解の中から共通性や類似性のある属性に着目したのが一般化である。
くだいていえば、AさんにもBさんにも、その他の人にも当てはまる属性があるはずだというのが世間的な意味合いにおける一般化だ。社会的にいえば、マスメディアが一般化の典型例だ。多くの人が感心をもちそうなニュースについてとりあげるという編集姿勢も、その一つだろう。
このブログで、一般化という視点でメディアで報じられた記事について書けば、そこに一つの論理ができあがる。一般的に関心が高い事だから、共通の話題として成立するし、共感と反感という現象が出現するだろう。例えば、サッカーのワールドカップとか、最近の政治問題や社会問題といった共通の話題をプログのテーマにするといった具合にだ。そんな風にマスとしての社会やマスとしての物事のとらえ方を小学校の時から教えられてきた。
だがぁーー、芸術工学系の私にいわせれば、そんなマスを中心的に扱うというのは、文科系の見方や考え方であって、しゃらくせぇー、という意識の方が強い。大体高校までの先生を養成する教育学部が文科系なのだから、高校までの学校教育は文科系のパラダイムから抜け出せないわけだ。だから近年理科系教育と意識的にいうようになってきた。それを教える先生がまた文科系だったりするのだが。
建築や都市の空間をつくる世界は特殊解だ。というのも例えばすべての建築が皆同じ形式を持っていたら、それは、今廃墟と化しつつある団地やロシアや中国の集合住宅だ。やはり一つ一つの建築や都市は、その土地の固有の環境や歴史などに即してつくられるべきというのが建築界の一般的な考え方だ。そして空間とは、X、Y、Zの3軸を定量的に捉える世界と定義されるだろう。属地的と3軸の定量化により、一般化と特殊化の間を渡り歩く、それが建築や都市の空間づくりかなと思われる。こんなことは、高校までの教育では誰も教えてくれなかった。
なんでこんな話をしているかというと、そろそろ夏休みは大学受験の目標が絞られてくる頃。私は、目指すならば、情報も含む理工学系、技能が身につく芸術系、医学系や体育系をお勧めするということだ。つまり文科系は、リアルな技術が身につかないからすすめられません、ということ。英語はどの分野にいても勉強できるし、例えば数学がわかれば経済もわかるが、経済がわかっても数学がわかるとは限らない。
さて画像は、戦後沖縄の風景を留めていた市内のミッドナイトマーケットである農連市場。当然那覇の昼間は暑いから夜から朝にかけて市場が開いている。今は大きな建築に建て変わっているので、この風景はない。私が訪れたのは、もう再開発直前の最後の頃なので閑散としていた。なくなった風景だから撮っといてよかったぜ。
沖縄県那覇市農連市場
OLUMPUS E-M1、M.ZUIKO DG F1.8/17mm
ISO6400,露出補正-0.7,f/5.6,1/80
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