
日本のクリニックにゆくと、油絵の具象作品を待合室に掲げている事が多い。
例えば模様の入った花瓶を一つだけ描いた作品がある。それをみていて、あら!、なんで丸い花瓶の立体感を表現しないのだろうか?。そうなるとここはもっと光を表現しなければならないはずだが。そこから作者との対話が始まる。作者の経歴を調べるとデッサンの基礎は勉強してきている。じゃあなぜ勉強してきたことを否定するような表現にしているのだろうか?。そうやって次なる疑問がわいてくる。きっとそこには作者固有の個性や葛藤があったのかな?。これは発見といってもよい。作者と対話しながら疑問を発見することが絵画鑑賞だろうと私は考えている。
そうやって作者と対話しながら、結局なんだあ技法がなかっただけか・・・。つまり不勉強だったで終わるのが8割ぐらいの作品である。
私も、ブログにクリエイションのドローイングや3DCGをアップさせている。まれにブロガー以外から講評をいただく。色が綺麗ですねとか形が面白いとか意図はと言った具合に、あたりさわりのない講評をしてくれる。つまりおべんちゃらである。こちらは講評してくれとは頼んでない。アート作品をみると何でも講評しなければとする作法なり強迫観念が鑑賞している側にありそうだ。
そうしたルーツを探ると小学校の絵画鑑賞に原因がありそうだ。どうも学外授業で出かけた展覧会で見聞きしたことを作文で講評することが絵画鑑賞だと教えられたのが間違いの元だろう。本来なら次次と疑問がわいてきて作者と対話をしてゆくのがアートの鑑賞方法だが・・・。
ふとクリニックの油絵を見ながら、私はそんなことを考えていた。
トップ画像:フィリピン・ブラカン
機材:FX30、Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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