Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング193.  うざったい街京都

2019年06月17日 | drawing

 京都市内に東洞院通りと呼ぶ一通路がある。前に車が一台ハザードランプを点滅させている。私は10m以上後ろで立ち止まり、さてどちらのスペースにバックして車をいれるんだろうかと見ていた。そしたら自転車に乗った叔父さん達が車の回りをツルツル通り抜けるではないか。それじゃ車がバックできないだろうにと、私は自転車の叔父さん達をにらみつけていた。その叔父さん達は車を運転したことがないのだ。だからなにも知らないのだ。

 そういえば、京都は交通規則を守らない街だ。同じ幅員の一通路街路の十時交差というのは、昔の街の構造だから無数にある。そんなところで車が同時に両方からやってきたら通例は左側に優先権がある。それは車だけでなく船や飛行機だって決められている。だが京都の街では運転手の顔色をみて判断するというわけのわからないルールがまかり通っている。

 狭い道を走れば、逆走する叔父さんやオバ半達、供達を乗せたオカン達の自転車が走り回り、家から突然飛び出してくる子供がいたり、夫婦げんかのあげくの鍋釜が飛んできたりする。

 広い道で車線変更しても先ずいれてはくれず、クラクションをならされるだけ。名古屋の道路では未経験だっただけに、えっー!だよ。私も観光バスや市バスにクラクションを随分鳴らされた経験がある。どうも関西の風習のようだ。

 これが名古屋だったら車線変更はもちろん停車中の市バスを反対車線から追い越すのは当たり前なのだが。それを京都でしたら対向車の運転手が\(><)/ギョッとしていた。それに京都の市バスがものすごくいばっていて絶対に道を譲らないどころか車を蹴散らそうとする走り方だ。名古屋の市バスではありえない話だ。

 それに道路のメンテナンスがものすごく悪いから、道路標識なんか消えている道が多い。そんな道を幅員からすれば一通路だと思って走っていたら、反対側から市バスがやってくる、つまり交互通行だった。だから私は側溝の蓋の上にタイヤをのせミラーを折りたたんでジッとしているほかなかった。そんな道が市内には、やたらとある。

 悪いのはメンテナンスだけではなく交通標識の例外がありすぎるのだ。そんなの走っていてわかるわけないだろうに。

 それに京都市内は、道が狭いだけならまだしもルールを無視して運転する輩が圧倒的に多い。名古屋の広い道で快適に運転していた人間が、そんな街で運転する気分にはならないね。

 ある時私も20トンの大型トレーラーに追突された経験がある。雨が降り出した下り坂だから車間距離とっていれば問題はなかったのだが、私の車の後ろを執拗に追っかけてくる。もう物理の法則をしらんのかよ。後で早く先に行かせればよかったと思った。

 最近高齢者の運転事故が多い。だが車の動きが全くわからない自転車や歩行者の存在も問題視されるべきだろう。特に自転車は後ろを確認しないし、交通ルールを無視して走ってくる。信号のない交差点で一時停止はしないから突然車の前に飛び出すことになる。だから自転車にも登録免許+保険制度が設けられたが、自治体が本気ではないので誰も登録していない。それに歩行者も信号無視して横断する人間が圧倒的に多く、いつも車にクラクションを鳴らされている。

 車の運転は面白いけど、道が狭く、交通規則を守らず、例外標識が多く、メンテナンスが悪い道、といった京都の車社会が実にうざったいのである。うざったい街京都なのである。

 

クロッキー帳NO45.

コメント (2)
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