Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング195. 文科系人間達の処世術

2019年06月19日 | drawing

 私の若い頃、文科系の人間達に欺されていたことがあった。

 多分芸術の話でもしていたのだろうか。芸術好き人文系出身のA君は、私の話の論旨とは異なる断片的な言葉をみつけ、そこにA君の解釈をいれて横へ話を脱線しつつA君なりの世界へ膨らましたくれた。結果として私が話したい主旨とは異なり方向違いに進んでゆく。つまり私の意図はA君には全く通じなかった。それは、なんか違うよなと私は感じていた。

 あとでわかったことだが、それが文科系出身者の処世術だった。古今東西の文献をあさり、何を勉強していたかというと、会話の誘導であり、話術であり、理屈のつけ方であり、つまりは処世術だった。話を自分の世界へ引きずり込んで、自分の都合にそわして展開するという、論旨脱線の技法に、さもありなんとする理屈をつけるあたりは詐欺師同様に見事だ。どうりでサラリーマン的あるいは役所の人間達を思い出す。文科系出身者の技法は処世術だということに気がついたのは、後のことであった。

 都市開発の仕事をしているときも、そんな文科系人間達の処世術に随分とつきあわされ、かき回され、そして私は無視した。

 とくに甚だしいのがメディアの人間達だ。「つまりあなたのいいたいことは、こういうことですね!」と要約し上位概念を押しつけてくるような解釈だ。それって、私の発言ではなくて、あんたの意見だろうが・・・、と思ったけど。そんなメディアの都合の良い解釈で私の発言責任までとらされたのではかなわない。最近では年金2000万円不足論など政治の世界ではよくあるようだ

 実は、いまの社会のなかでもそうした場面が多数存在している。報道である以上視聴者が理解できるストーリーに置き換えているわけだが、その結果現場とは異なったストーリーができる。だからといって報道内容が視聴者に理解されたからといって、事の真相が明らかになったこととは別だ。そこには伝えることの難しさもあるが、時にはそんなメディアの手法が、文科系の処世術を感じさせてくれる。

 翻って人間がコミュニケーションできる2次元の方法には、文系、数式系、図系、絵系の4系統がある。

1)文系(文章、詩文、コンピュータプログラムなど)

2)式系(数式、数値、論理式、分子式など)

3)図系(地図、設計図、グラフ、表、楽譜など多数)

4)絵系(絵画、スケッチやイラスト、漫画、写真や映像など)

※これに私のような建築の仕事をしていると、3次元の方法を伴う。

 だから仕事の場面で、そのなかの一つの系統だけに執着していてもアカンでしょうよ。言葉で語れないから、数式や図や絵があるわけで、それを言葉だけに集約させることが間違いなのである。

 そうしたわかりにくさの典型がWEBサイト。とくにソフトウェアのQ&Aを、図で示せば明快にわかるのに、それを言葉で説明されても魑魅魍魎の世界。言葉で説明したから、相手は理解したとでも思っているとしたら、それこそ文字しか扱わない文科系出身者のお目出度さだ。

 そんなわけで、事があると「なんとかしろ」という他力本位な文科系の人達、つまり自分の手でものをつくらない、あるいはクリエションをしない人達の言葉を、私はあまり信用していないのです。

 そもそもクリエイションは苦労の連続だから、ものをつくらない文科系から簡単に次!、なんていわれてもね。それをいうなら、お前!、自分でつくれよ!!、とこちらはいいたいね。


クロッキー帳NO44.

コメント
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