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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

PEN LIFE786. 陰険なコミュニケーションツール

2013年11月10日 | Kyoto city
 朝寝坊の日曜日、さて木屋町の散歩。だが人がいるので遅すぎた。これでは朝の空気ではない。ならば高瀬川沿いに窓を向けた古い喫茶店をのぞこう。
 村上重の脇の路地の入り口を入ると、あら川沿いの窓がない。変だぞと思ったら2軒あるではないか。川を向いたお店はまだ開いていなかった。
 ならば、 あいているカルドでお茶。しかしここはスパゲッティ屋だ。珈琲をすすっていたら、程なく狭い店内は京都人達で一杯。さらにお客がやってくる。「もう満席デースの声」。ならばしゃあない私が出ようと席を後にする。すれ違いざまにあら私と同じカメラの笑い声が聞こえる。
 うん!、こういうとき撮影機材というのは、話題が発展せず閉鎖的でださいよなといつも思う。それは犬の散歩同士が挨拶するようなものと言えばよいか。ブラックのダックスフンドをつれた主が、シルバーのダックスフンドに遭遇するようなものである。こころのなかで・・・あっちの色は高いの、安いの・・・と値踏みをしたりして心の中が陰険だよね。
 だから撮影機材も陰険なコミュニケーションツールだろうと私は思っている。こうした機材を持ち歩くのは、ださくて私はあまり好きではないのだけど。
 こういうときは、当然絵が描けるのが前提だけど、色鉛筆のケースとスケッチブックなどを持っているとお洒落だ。カラフルな色が創造力を刺激してくれる。
 それにしてもデジカメのパッケージってなんであんなに付属品が多いのだろうか。充電器だのバッテリーだのソフトCDだのなんかのパンフだ、説明書だといった具合に。
 例えばAir Macのケースを開けてもMac本体と電源ケーブルぐらいしかない。そういう風にスマートにできんないのかなあ。
 撮影機材がクリエティビティを感じさせてくれたのは、20世紀前半のライツ位までだろう。それ以降は、邪魔或いは邪悪なださい道具ですね。だから私はカメラをぶら下げている人種が嫌いなのですよ。

四条下る
OLYMPUS PEN E-P5,M.ZUIKO DG17mmF1.8
ISO1250,露出補正-0.3.f5,1/80
コメント
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