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The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches
Part Two: The Seven Letters
The Days of Vengeance
David Chilton
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エペソの生活において、このイメージの土台の一部として、ヨハネは潮流の動きを重要視していたようである。
ケイスター川から流されてくる堆積物によって、海岸線は絶えず変化していた。
そして、砂や砂利が徐々に港に堆積して、沼地へと変えられていった。
町はその場所から移動させられ、海から切り離されていった。
2世紀前、大規模計画によって、多くに努力、忍耐そして困難を代償に港は浚渫された。
しかし、1世紀半ば、港は再び泥土によって満ちた。
港として、エペソが影響力を維持するつもりであれば、市民は自分たちの怠慢を悔い改めて、再度最初の業務を行なうべきであることは明らかだった。
紀元64年に、ついに町は港を浚渫する工事を始めた。
その後しばらく、エペソはその場所に留まることができた。
しかし、長年に渡る沈泥が妨げられることなく進み、今やエペソの町の廃墟は、海から6マイル離れたところにある。
かつてエペソの港だったところは、今は草が生い茂る吹きさらしの平原となっている。
愛への回帰は、神学的基準を減ずることを意味しない。
ある意味で、それは神学的基準そのものの強化を意味する。
キリストとその民に対する真の愛は、悪に対する憎悪を要求する。
主はこのことを堅持するように命ずる。
「しかし、このことを行ないなさい。あなたがたがニコライ派の人々の行ないを嫌っているように、私も嫌っている。」
2世紀の司祭、聖エイレナイオスによると、ニコライ派とは、使徒らによって最初に執事の一人に任命されたニコラオの信奉者たちのこと(Acts 6:5)。
使徒6:5
Act 6:5 この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
彼らは、抑制のきかない耽溺の生活を送っていた。
彼らの教えとは、姦通を行なったり、偶像に捧げた物を食べることに無頓着というものだった。
聖エイレナイオスが正しいとすると、彼の見解には議論の余地がある。
執事ニコラオ(ギリシャ語ではニコラオス)は信仰を捨て、他の人々を異端の道へと誘い込み、異教徒と妥協することを求める「偽使徒」と成り果てていた。