みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#34 The Days of Vengeance, NO.34

2024年07月23日 | 創世記

p99~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇


予定説の教えの対立概念は、「自由」でも「有意義」でもない。

もし私たちの人生の最も些細なところが、神のご計画の部分ではないとしたら、また、神によって決定され創造された事実ではないとしたら、私たちの人生は全く意味のないものとなってしまう。

私たちの人生は、善をなすためにともに働くことができなくなってしまう。

神の統治という真理を理解しているクリスチャンは、その人生には意味があり、目的があるということに確信を持っている。

そして、ご自身の栄光のために、また私たちの究極の善のために、万物をお定めになられたという確信がある。

このことは、私たちの苦しみさえも、調和したご計画の部分であるということを意味する。

私たちが神と敵対している時でさえ、神は私たちを見捨てるという恐れを抱く必要がない。

私たちは神の目的に従って召し出されたが故に(Rom. 8:28)、人生における万事は、その目的(達成)に必要な部分である。

マルチンルターは、「神が偶然的に予知することはなく、ご自身の不変の、永遠の、朽ちない意志に従って万事を予知しているということを、クリスチャンが知ることは基本であり健全である」と述べている。

逆境におけるクリスチャンの主な慰めは、神は決して嘘をつかず、万事を不動の如くに通過させ、神のご意志は決して抗がうことができず、変えることもできず、また妨げることもできないということにある。

キリストは初めであり終わりであるばかりでなく、死んで、よみがえったお方である。

死が勝利に飲み込まれるために (1 Cor. 15:54)、主にあって死んだすべての人たちの初穂として(lCor. 15:20-22)、私たちの復活を保証するために、主は死に完全勝利したお方である。

第1コリント15:20-22
1Co 15:20  しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 
1Co 15:21  というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。 
1Co 15:22  すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。 

第1コリント15:54
1Co 15:54  しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。 

迫害者の暴力や残酷行為にもかかわらず、この世においても、次の世においても、スミルナのクリスチャンは打ち負かされることはない。