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The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches
Part Two: The Seven Letters
The Days of Vengeance
David Chilton
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予定説の教えの対立概念は、「自由」でも「有意義」でもない。
もし私たちの人生の最も些細なところが、神のご計画の部分ではないとしたら、また、神によって決定され創造された事実ではないとしたら、私たちの人生は全く意味のないものとなってしまう。
私たちの人生は、善をなすためにともに働くことができなくなってしまう。
神の統治という真理を理解しているクリスチャンは、その人生には意味があり、目的があるということに確信を持っている。
そして、ご自身の栄光のために、また私たちの究極の善のために、万物をお定めになられたという確信がある。
このことは、私たちの苦しみさえも、調和したご計画の部分であるということを意味する。
私たちが神と敵対している時でさえ、神は私たちを見捨てるという恐れを抱く必要がない。
私たちは神の目的に従って召し出されたが故に(Rom. 8:28)、人生における万事は、その目的(達成)に必要な部分である。
マルチンルターは、「神が偶然的に予知することはなく、ご自身の不変の、永遠の、朽ちない意志に従って万事を予知しているということを、クリスチャンが知ることは基本であり健全である」と述べている。
逆境におけるクリスチャンの主な慰めは、神は決して嘘をつかず、万事を不動の如くに通過させ、神のご意志は決して抗がうことができず、変えることもできず、また妨げることもできないということにある。
キリストは初めであり終わりであるばかりでなく、死んで、よみがえったお方である。
死が勝利に飲み込まれるために (1 Cor. 15:54)、主にあって死んだすべての人たちの初穂として(lCor. 15:20-22)、私たちの復活を保証するために、主は死に完全勝利したお方である。
第1コリント15:20-22
1Co 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
1Co 15:21 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
1Co 15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
第1コリント15:54
1Co 15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
迫害者の暴力や残酷行為にもかかわらず、この世においても、次の世においても、スミルナのクリスチャンは打ち負かされることはない。