みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#28 The Days of Vengeance, NO.28

2024年07月10日 | 報復の日々

p95~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

耳に痛いことが宣べられている・・。

◇◇

4-6節。

Rev 2:4  しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 
Rev 2:5  それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。 
Rev 2:6  しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。 

◇◇

しかし、主は教会の天使を諫める。

あなたと対峙すべきことがある。

あなたは、最初の愛から離れてしまった。

健全な教えに対する教会の願望が、キリストにある兄弟たちに対する頑強な姿勢へと逸脱してしまった

つまり、愛を欠落してしまった。

正統に対する熱心な関心それ自体が、そのまま愛の欠落を意味するものではないということは重要ではある。

兄弟たちに対して頑強になるというのは、正統派という名の倒錯である。

エペソのクリスチャンはあまりにも正統派すぎると、主キリストは批判しているのではなく、最初にあった愛を離れ、捨ててしまったと言っている。

教理vs愛という疑問は、聖書的に言って、問題とはならない。

事実、神がつなぎ合わせたものをばらばらにしようと目論むことが、特に未信仰者における問題である。

クリスチャンは正統であることと愛することの両者を要求され、そのいずれかの欠落は結局のところ神の裁きを招く。

それ故、あなたが落ち込んでしまったところから思い起こしなさい。

エペソ教会のクリスチャンはかつて、愛と正統派教理という調和の取れた組み合わせを有していた。

しかし、キリストは彼らに、悔い改めて、行ないについての考えを切り替え、最初に行なっていた行ないをするように命じた。

愛とは、心の問題でも態度の問題でもない。

愛とは、神の法「私たちが神を愛し、神の命令を守る時、これによって、私たちは神の子どもたちを愛するということを知る」を履行すること。

神の命令を守ることが、神を愛するということ。

神の命令は負担にならない (1 John 5:2-3; cf. Rem. 13:8-10)。

第1ヨハネ5:2-3
1Jn 5:2  私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。 
1Jn 5:3  神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。

ローマ13:8-10
Rom 13:8  だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。 
Rom 13:9  「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。 
Rom 13:10  愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。