みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Better to Be Healed, #31

2017年06月18日 | 聖書研究・信仰
今なお、多くの信徒が癒しの機会を失い、病いに倒れている。

彼らは、主は自分たちの病を負って下さっているとは思っていない。

この点に関して、もう少し議論したい。

パウロは3度の祈りの中で、自分の弱さに留まることが彼にとっては益であるということを確信した。

パウロのような確信が得られないのであれば、我々は癒しを求めるべきだ。

3度祈った後、パウロは自分の弱さを受け入れた。

そして、主ご自身によって明確に示された。

この恵みは自分にとって十分であり、自分のパワーはこの弱さの中でパーフェクトとなるだろう。

主に自分の弱さを負って欲しいと大胆に求め、病いを取り除いて欲しいと懇願する
時に、その弱さを自分で背負っていくように神が望んでいることを自覚する。

神の子らがこの地上で生きているのは病いに倒れるためではない。

主を賛美するためだ。

病気であることが主に栄光をもたらすのであれば、良いことではないか。

しかし、主に栄光を与える病気は多くはない。

結果、病いにある間、主に信頼することを学ぶ必要がある。

主が我々の病いを負って下さっていることを理解する必要がある。

主は、昨日も今日もそして永遠に同じ主だ。

我々の弱さを主に委ねようではないか。

そして大胆に癒しを求めようではないか。

アーメン。




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