みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Man’s State By Nature, #5&7

2015年02月08日 | 聖書研究・信仰
(パラグラフ4&6は省略)

我々が罪人なのは、我々自身に問題があるのではなく、アダムゆえにだ。

私が罪人である理由は、私が罪を犯したためではない。

アダムが罪を犯した時、私はアダムの中にいたのだ。

つまり、私はアダムの一部なのだ。

いくら努力しても、その事実を変えることはできない。

だから、我々は生来罪人なのだ。

人の命はさかのぼれば一人の人間に由来することは自明だ。

だから、我々の命がアダムに由来することも当然だろう。。

仮に私の祖父が3才で死んだなら、私という人間は存在することはできない。

祖父が3才で死んだとき、私も祖父の中で死んでしまったのだ。

つまり、私の経験と祖父の経験はしっかりと結びついているのだ。

同様に、すべての人の経験はアダムの経験と密接に結びついている。

アダムがへびのことばに屈した時、我々も皆そこにいたのだ。

それ故、我々は皆、アダムの罪の結果を受け継ぎながらこの世に生まれてくるのだ。

アダムの罪ゆえに、生まれながらに罪人なのだ。

問題は我々の行ないではなく、我々の遺伝形質にある。

この「アダムの罪」なる遺伝形質を変えなければ、解放は成し遂げられない。

神はどのようにしてこの問題を解決するのだろうか。

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