みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #203

2018年06月17日 | コーヒーブレイク
ローマ書1章29節
彼らは
あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者
ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者
陰口を言う者

何故原典に忠実に訳出しないのか。

上の訳を見ると「~者」と訳している。

霊的領域のことがまるで分かっていないから、こういう訳になる。

英語訳を見てみる。


Being filled with all
unrighteousness
fornication
wickedness
covetousness
maliciousness
full of
envy
murder
debate
deceit
malignity
whisperers

「~する者」(man who does~)とは書かれていない。

我々の戦いは血肉に対するものではない。

補充すべきは、「~する者」ではなく「~する霊」だ。

つまり

不義
姦淫
不正
貪欲
悪意
で満ち満ちている霊
妬み
殺人
論争
欺瞞
怨恨
告口
で溢れている霊

前節に、神は霊的領域のポータル(マインド)を通して、その者たちを敵に引き渡したと書いてある。

つまり、我々の敵は、神によって敵に引き渡された者たちの背後でうごめく敵の霊だ。

我々の矢と剣の標的だ。

親玉はサタン。

一方、我々が備えているのが聖なる霊。

我々の武器であり鎧だ。


喜び
平安
寛容
親切
善意
信仰
柔和
自制
真理
正義
平和
救い
癒し
で満ち溢れる霊。

親玉はイエスキリスト。

これらが、敵の「不義」の霊の矢、「妬み」の霊の矢を撃退する鎧となり、また敵を攻撃する剣となる。

これらもみな霊だ。

最強の武器は言うまでもなく「主の血潮」という霊。

そして、神のことばが敵と戦うための足場を与えてくれる。

例えば、ガラテア2章20節。

最も強靭な足場のひとつだ。

この世の表向きの事象にのみ眼を囚われていると、背後にある敵の策略を見損じる恐れがあるので注意が必要だ。




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