みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#440 神の法第三戒

2019年10月26日 | 神の法
第3戒
神の御名
 
p126~
The Name of God
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

メレディスの言葉を再び引用しよう。

神は、イザヤを通じて、「聞け。ああ、ヤコブの家よ。おまえたちは、イスラエルの名で呼ばれ、ユダの水から出、主の御名によって誓い、イスラエルの神について語るが、その言葉は、真実によらず、正義に基づかない」と言われた(イザヤ48:1)。

この預言が向けられた人々は、たしかに神の御名を用いている。

しかし、彼らは、神の御名の中に含まれる神の啓示に従うことに失敗している。

聖書には、神を表す数多くの称号が記されている。

これらは、神の御性質の様々な側面を啓示している。

しかし、神の御名は、エホバとかヤーウェ(正確な母音構造は不明)として与えられる。

これは、神が「存在する者」であること、つまり、自存のお方、「我は有りて在る者」であることを意味している。

これこそ、御名の中に含まれる神の啓示である。

神こそが、法と万物の定義の原理。

神こそが、あらゆる思考の根拠であり、すべての思想領域にとって必須の前提。

それゆえ、神を証明しようとの試みは冒涜。

神がすべての証明の必然的前提であるがゆえに、思考、生活、行動、存在のあらゆる領域の根拠を三位一体の神以外のものに置くことは冒涜。

神を前提としない教育
神を前提とせず神の法に依拠しない法律
あらゆる権威を神から引き出さない市民的秩序
神の御言葉に基づかない家庭

これらは皆冒涜。

コメント:
確かにここに書かれていることは紛れもなく真理。
それは、我が国がキリスト教国家になるということを意味する。
絶対にあり得ないことのように思われる。
しかし、神に不可能はないと聖書に書いてある。
それを信じるのみ。
政治はノンクリスチャンに任せた方が良いなどと考えることは神に対する冒涜だ。




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