みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #90

2017年06月27日 | コーヒーブレイク
ヤコブ2章18節
さらに、こう言う人もあるでしょう
「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています
行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください
私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます」


この聖句もそうだが、聖書全体を通して、ἔργονということばの意味を確認したい。

これが今回のテーマだ。

ἔργον:
From ἔργω ergō (a primary but obsolete word; to work); toil (as an effort or occupation); by implication an act: - deed, doing, labour, work.

つまり、「働き」「業」という意味だ。これを「行ない」と訳すから誤解が起きる。無意識的に「行ない」を「善行」と解釈してしまうからだ。そのように擦り込まれてしまっている。マインドのリニューイング(刷新)が必要。

ヤコブ書には「行ない」という単語が随所に出てくる。これらをすべて、「しるし、不思議、癒しを行なう業、または主を喜ばせる働き、と言い換えて理解するとすっきりする。

しかし、ヤコブ書2章15~16節に「善行をせよ」と書いてあるではないかと反論する者がいるかもしれない。ここでは「自分の財産を用いて頑張って善行せよ」とは書いていない。我々キリスト者は、神に感謝する祈り、すなわち信仰によって貧乏な者たちの必要を満たすことができる。まさに5千人の給食。これが最も神に喜ばれる方法ではないか。地上に神の国をもたらすことは我々キリスト者と神との共同作業だ。

さて、the works of God(神の業)と言われると何を想像するだろうか。

まず最初に思い出すことは、言うまでもない「天地創造」だろう。

では、the works of Jesus Christと聞いて思い出すことは何か。

しるし、不思議、奇跡、癒し、死者を蘇らせる祈り、などではないか。

「神の行ない」とか「キリストの行ない」と言うことはできない。ἔργονを「行ない」と訳出することはできないのだ。

ἔργονとは、奇跡を行なうことができる働き或いは業であって、人の小賢しい空っぽな「善行」などではない。

この聖句も、そのように理解すると見えてくる。

直訳する。

ヤコブ2:18
・・略
あなたは信仰を持っている
私は業を持っている
私に見せてくれ
あなたの信仰を
あなたの業のない
私はあなたに見せよう
私の業から出てくる
私の信仰を

 
パウロは続ける。

信仰だけなら悪魔でさえ持っている。

業(または、働き)の伴わない信仰は空っぽだと断言する。

→この聖句、信仰の定義(ヘブル11:1)の裏返しとなっている。実に面白い。 






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