小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

屈筋と伸筋

2016-09-09 03:13:40 | 武道・スポーツ
多くの人が誤解していることだが。

鉛筆で文字を書く。箸で食事する。などという、動作は、スポーツではない、そんなことは、技術ではない。誰でにもできることだ、という主張である。

しかし、これは、完全な誤りである。

鉛筆で文字を書く。箸で食事する。などの動作も、幼少の頃から、長い長い、訓練をした結果、身につけた技術なのである。

なぜなら、欧米人は、箸を日本人のように、器用に使えない。これは、箸を使う、という訓練をしていないからである。箸を日本人と、同様に器用に使えるようになるには、反復練習をしなくては、出来るようにならない。

人間は、利き手で、箸を使え、文字を書けるが、利き手でない左手では、箸を使えないし、文字も書けない。これは、幼少の頃から、利き手(右手)だけを、使ってきて、利き手でない、左手で、箸を使ったり、文字を書いたりする訓練は、していない、からである。

なので、鉛筆で文字を書く。箸で食事する。などの動作も、訓練によって、身につけた技術なのである。

人間は、日常の生活で必要な動作の技術だけを、訓練によって、身につける。

(日常の生活で必要てない動作の技術は練習しない。←当たり前)

そこで。人間の、日常の生活で必要な動作といえば。それは、テーブルの上にある、食べ物を、口に運んだり、机の上にある物を、別の場所に動かしたりと、物を、正確な位置に、移動させる動作なのである。

「物を見たら、それを、正確に手にとる。そして、正確な位置へ移動させる」

という動作が正確に行われるためには、屈筋と伸筋の、両方が、同時に、正確に調節されて、働くことによって、行われる。

なので、人間は、いつも、屈筋と伸筋の、両方を、使った動作をしているのである。

人をなぐる場合でも、相手の顔を正確になぐるために、屈筋と伸筋の、両方が働く。

人間は、生まれつき、空手の技術を身につけていない。

空手は、人間の身についた動作である、屈筋と伸筋を、同時に動かす、という運動から、訓練によって、伸筋だけを、動かし、屈筋は、動かさない、という、運動を、反復練習によって、身につけるしか方法がないのである。

さて。陸上競技の、短距離走を、見ると、あれは、特殊な運動ではないように、思ってしまう。

なぜなら、人間は、誰でも、速く走れるからである。

しかし、それは違う。

なぜなら、人間は、「走る」という運動は、必要なので、身につけているが、それは、一直線に走る、のではなく、目的地に、早く到達するためであり、右に曲がったり、左に曲がったり、しなければならないから、これも、調節された動作でなくてはならないから、足の、屈筋と伸筋が、同時に働いているのである。

確かに、日常生活で、ケンカの敵から逃げるため、全力で走るだけ、とか、急用のため、全力で走るだけ、という、ことも、行われる。

しかし、そういう目的で、走る、ということは、現代社会では、あまりない。

現代社会で、急いで走る場合では、離れた所にある、必要な物を、取りに行く、という目的で走ることが、圧倒的に、多いので、目的地点の前で、ブレーキをかける、ことを意識して、走る、ということをしているのである。

テニスや、野球の野手や、バスケットボール、バトミントン、など、ほとんど全てのスポーツで、初心者、上級者に、かかわらず、また、試合や、遊びに、かかわらず、テニスなら、相手の打ったボールの所に、急いで、走っていき、そして、急いで、止まって、打つ、のであるから、がむしゃらに走るのではなく、止まることを意識した、走り方を、しているのである。

しかし、陸上競技の、短距離走は、そうではない。調節された動作は、必要なく、ただ、一直線に、速く走ることだけ、の技術が、陸上競技の短距離走の、走る技術である。

なので、陸上競技の、短距離走、の「走る」技術は、一般の人の、「走る」技術とは、違う、走り方の技術なのである。

たとえば。ほとんどの人は、平泳ぎ、は、出来る。速く泳ごうと、力を入れれば、ある程度、速く泳げる。

しかし、競泳選手の、平泳ぎ、は、一般の人の、平泳ぎ、とは、技術が異なる。

もちろん、同じ、平泳ぎ、なのであるから、共通する、運動の要素は、ある。

しかし、外見的に似ていても、一般の人の、平泳ぎ、と、競泳選手の、平泳ぎ、は、違う運動である。

それと、同じで、陸上競技の、短距離走、の「走る」技術は、一般の人の、「走る」技術とは、違う、走り方の技術なのである。

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