ライアテア 無人島でキャンピング

2008年05月15日 | 旅行・ホテル
週末は近くの無人島でキャンピング。

友達の旦那さん(以下O)のラグビー仲間と一緒です。
離島だけあって、皆さん船を持っています。ちなみに家のは売れました。

私たちは友達の船で行く予定だったのですが、エンジンをかけたとたん妙な音が..........


なんとこんな時に限って故障。


ところでこのO、すごくいい人なんだけど、ちょっと抜けてるの。
映画に出てきそうな感じで、毎回あり得ない事をしでかしてくれます。

船は別に彼のせいじゃないけど、なんか彼らしくて笑えちゃう。


仕方ないので船を海の目の前に住んでいるお友達の家に停めて、ランチはそこのテラス。しかも食べたのは私が作ったおにぎり.......
(家主の友達は先に無人島へ行きました)

船をなおせる友達に連絡して来てもらいましたが、どうにもダメ。


仕方ないので、既に無人島に着いている友達に電話して迎えにきてもらいました。




無人島のココナッツの木。すごいねじれ具合です。



海は薄い水色で透き通っています。


シュノーケリングをしましたが、珊瑚の岩があまりないせいか魚影は少なかったです。
そのかわりきれいな貝がありました。


夜はバーベキュー。木を集めて薪にして、上に網を乗せてお肉を焼きました。


本当は友達のOが魚を獲ってくるはずだったのですが、海に入って水中銃を魚に向けたその時..........


ポロっ


と先端が落ちたそう(旦那が笑いながら教えてくれました)



O最高!


という訳で魚はなし。翌日シャコガイを獲って名誉を挽回することになりました。



夜はテント,, のはずだったのですが、持ってきた10人用のテントの支柱がどこかに行ってしまってテントを作れず。
4人用のテントを余分に持ってきた人がいたのでお借りして寝る事になりました。


でもね、友達夫婦はタヒチアン体型なんですよ。100kgは超えているはず。そして家のメタボちゃん。



4人用はムリ。絶対無理。


案の定寝ているうちに息が苦しくなってきたので、私は外でゴザを引いてねました。




私の寝床。



それにしてもタヒチに来て4年。私も逞しくなったものです。
前なら外でござ引いて野宿なんてあり得なかったもの。

さすがにゴザは寝心地は悪かったけど、いつの間にか寝ていました。 何かが背中に乗っかってくるまでは。

ガリガリって感じで何かが背中に触ったんですよ。

手で振り払って、持っていた懐中電灯で照らしてみたら、なんとカニ



しかも活動時間だったらしく、そのあとも頭の上でカサカサ音がしたりして、眠れなくなってしまいました。

幸い空が明るくなってきて、旦那がトイレに起きたので、そのまま日の出を見る事にして起きちゃいました。





日の出です。



それにしてもカニに起こされるとは,,,,,,,,,,,,,,,

さよならタヒチ

2008年05月15日 | タヒチ生活
本当は次の任地が決まってから書こうと思ったのですが、仕事の遅いフランスの返事なんか待っていたら引っ越しの方が先になっちゃったりしそうなので、書く事にしました。

あっと言う間の4年間。ついに任期が切れる日がきました。
7月頭にフランスへ戻ります。

本当は、他の国に行きたかったのですがタヒチからだと条件が悪く、本土からの人を優先させるため残念ながら外国のポストは手にはいりませんでした。カナダからOKの返事が来たのですが、タヒチに住んでいるからダメってことで2番手の人に譲られちゃったし。

タヒチからだと海外領土同士は駄目なので、ニューカレには行けません。そのかわり海外県なら行けるのですが、マルティニーク、グワドループは人種差別が激しいから止めておいて、日本から遠いけど人気のあるアフリカ大陸の横に浮かぶレユニオン島に希望を出してみましたが、駄目。

本当は旦那の階級が去年の秋に上がったので、レユニオンはOKなはずだったのですが、仕事が遅いので書類が間に合わず一階級下のまま希望を出す羽目になったんです。


まあ、旦那もそれほど乗り気じゃなかったし、わたしも日本から遠いからあんまり期待していなかったのでいいのですが。


といわけで本土に帰国が決定。
元の学区に戻るので、南仏に行く事は決まっています。

あとは南仏の何処になるか。コートダジュール大嫌いな私の為に、旦那はプロヴァンスの方のポストへ希望を出してくれました。


任地が決まるのは来月。
どこになることやら。


ブログはこのまま続けます。タヒチネタがたくさんあるので南仏に行っても、タヒチの記事も書くつもりです。
マニヒの旅行記とか.........