▼「9条厳守」というのは、平和主義を貫くには大切なことだと思う。第二次世界大戦での我が国の侵略戦争での惨事を考えれば、「9条」は世界中の憲法に書き込みたいものだと、誇りに思う条文だ。
▼ところが我が国の隣国ロシアが、ウクライナに突然侵略し、市民を虐殺し領土を奪っている。第二次世界大戦終了後、戦争は絶対悪だと世界中が思ったに違いないが、戦争は止むことを知らない。
▼戦争をしないというのであれば、核を保持しその抑止力で侵略を防ぐという考えもある。あるいは非暴力を貫き無抵抗で占領を受けることも可能だ。 代わりに犠牲になるのは、曲がりなりにも維持してきた、自由民主主義の体制と生き方である。侵略と虐待が排除できず、抑止力も無抵抗も望ましくないなら、いま真剣に考えるべきはその方途、リアルな防衛構想だろう。
▼上述の主張は、23日の北海道新聞「各自各論」の中での国際政治学者、遠藤 乾東大教授の「問われる平和主義に中身」【侵略予防の規範支えよ】だ。
▼普段「9条厳守」だけでいいのかという疑問が私の中にもある。それに対し遠藤教授はこんな答えを用意する。
▼戦争が始まった後に起こりうる、戦争犯罪をめぐるための規範を確立するべきだという。今ウクライナでの戦争犯罪を裁こうとしている、国際刑事裁判所を支えることだという。
▼さらに日本は、戦後の平和的な民主主義国家の生き方を否定する必要はない。これまでの生き方を尊重しつつ、自ら侵略せず他国による侵略には自由と民主を防衛し、侵略を予防する世界的な規範や制度の下支えに、汗をかくべきであるとも強調する。その実効性を下支えする“教育”が大切になるともいう。
▼「戦争は教育現場から起きる」といわれる。逆に言えば「教育現場で戦争は防げる」ということではないか。
▼だが教育現場が混乱している。昨年北海道旭川市の中学女子が、公園で凍死した事件がある
。相当ないじめがあったことが報告されている。
▼だが、第三者委員会が出した結論は、いじめによるものではなく、自殺だという結論を出した。いじめによる自殺だと判断できない、教育を取り巻く環境は正常ではない。
▼ウクライナに侵略したプーチンの主張。侵略され防戦するゼレンスキーの主張。死闘を繰り返し、兵士や市民を犠牲にする。そこに“正義”などはない。
▼戦争がはじまると自分の方が正義だと主張する。自分たちの戦いが“聖戦”だとするのは、神の最も嫌う言葉ではないか。
▼実は昨夜教育に関する会議に出席した。教育に関する問題は、困難な状況下でも前向きに検討していくので、提案に合意して欲しいというのが多い。
▼「本質論」を避けている傾向があると今まで思ってきた。昨夜も議長が私の質問に、議長自身が答えて「今日はこのぐらいで理解してもらえません」と言った。
▼「わかりました」というのが、この場の大人的対応なのだろうが、私は苦笑いし「納得がいきません」と答えた。近くで小さな笑い声が聞こえた。
▼私は自分がいつまでたっても大人になり切っていないと思ったが、たぶんこの会議の中では私が最年長だ。会議の場の最年長が、最年少のような返答をした。
▼それだけ教育現場の会議が、ちょっぴり変だということを、参加者の中にも同調するような雰囲気があるように思えた。私の発言後、発言が前回より多かったからだ。
▼遠藤教授の「侵略予防の規範を支えよ」という主張に、本質論の欠けた教育現場の会議を照らし合わせてみた。
▼故安倍晋三が総理になってから、教育現場はますます曖昧さを増し、本質論を語れない傾向になったような気がするが、私だけの感情だろうか。