函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

神仏集合を生んだ垂迹思想(すいじゃく)

2010年10月02日 07時39分23秒 | えいこう語る
我が国の家屋には、神様と仏様が仲良く鎮座している。
戦争に借り出される時は神様に送られ、戦死すると仏様が引き受ける。
まことに相反する宗教が、それぞれの役割を分担しながら、何の違和感もなく日本人の魂の中に共存している。
戦死者の霊を引き受ける場所として靖国神社はあるが、行き場のない悲しみを沈めるため、国家が作った安置場所というところだろう。
もともと日本古来は神様だった。
後に半島から仏教が入ってきて、古い神と新しい仏が対立をしたが、いつのまにか同居するようになった。
ずいぶん昔からこのことは気になっていたが、誰に聞いても回答はなく、また自分でも調べることもなかった。
※銚子ビーチも秋


『垂迹思想とは、仏・菩薩が衆生済度のために仮の姿をとって現れること。我が国の神は仏・菩薩の垂迹であるという本地垂迹説がある』
昨日のブログに続く、中村良夫著の「風景からのマチづくり」に、その答えがみえる。
比叡山の麓、琵琶湖を望む斜面に、日吉神社がある。
ここの東本宮は比叡山の地主の神である、大山昨神(おおやまくいのかみ)を祀っている。
この大社の山王祭の時には延暦寺の住職がお経(般若心経)を唱えるのは、延暦寺が日吉大社をその守護神として、ともに発展してきた歴史があるからだ。
このような山岳信仰の古い伝統につながる宗教観が、神仏習合につながったと考えられる。
また天海上人が開いた東京上野の寛永寺、この東国天台宗本山の山号は「東叡山」すなわち東の比叡山だ。
ここには京都の比叡山延暦寺はもとより、その鎮守神だった日吉神社に関係する比叡山の影響が色濃く見える。
内容は少ないが、これで家の中に神様と仏様が、なかよく同居生活をするわけが理解できたようだ。
ということは、我が国は異なる考え方を上手に取り組む能力に長じた民族ともいえる。
「和を以って貴しとなし」の聖徳太子の精神を踏襲しているのだろう。
それにつけても、外交の下手な国会議員が多いのは、神様や仏様にも笑われているに違いない。
※10月のひまわり


私の菩提寺は浄土宗で「北門山慈照院光円寺」という。
開祖法然上人は岡山県の出身である。岡山の有名な山はどこなのか「北門」とはどんな意味を持つのか、調べてみようと思う。
以前檀家の先輩から聞いたのは、北海道の伊達市にある有珠の善光寺(浄土宗)は、徳川幕府直轄のお寺であったという。
当時松前藩より広い領地を所有していたそうだ。
その歴代の住職が、本州から善光寺に務めに入る時、まずは私の菩提寺に落ち着いてから、善光寺に向かったということを聞いたことがある。
北門山という山号も、なんだか由緒正しき意味合いを見せてきた。
読書の秋は、心を揺り動かすような発見があって楽しい。