函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

風景(景観)保存の歴史的背景

2010年10月01日 11時54分38秒 | えいこう語る
札幌農学校(現北大)を卒業した地理学者志賀重昂(しげたか)が、明治27年に「日本風景論」を出版し、ベストセラーになった。
「万葉集」「枕草子」「徒然草」の古典文学、さらに俳句にいたるまで、風景描写は日本人に欠かせぬ主題であり、景色の微妙な移ろいの中に心の襞を重ねるというやり方で、日本人は自然との会話を求めてきた。
一般的には景色という言葉が使われていたが、この本が出てから風景という言葉が広まったようだ。
明治に入り日本は、一心不乱に西洋のあとを追って国家の近代化をはかる。
明治23年、英語教師として島根県に赴任したラフカディオ・ハーンは、宍道湖の風景に魅了されるが、こんな警鐘を残している。
※宍道湖ではありません。とどほっけ村の「北の湖」です。


「やがて鉄道が敷かれることにでもなれば、古風で趣のあった出雲の町も大きく拡張され、やがて平凡な都市へと変貌するだろう。出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命のような気がする」
風景とはまさに都市の魂のようなものなのだろう。
志賀の風景論が出版された年は、日清戦争のさなかだった。
愛国心の高まりのなかで、アジアの一角に浮かぶ祖国をわかりやすい風景として、比類なき美しさで説いた語り口が、国民の心を揺さぶったようだ。
この風景論は若い明治国家の身体としての国土と、そこに胚胎する国民の気風や文化への賛歌であるという意味において、国粋的ロマン主義の性格をはらんでいた。
これは日本に限ってのことではなく、南北戦争後、統一を成し遂げた米国は「我が国土」のイメージを作り上げ自覚していく過程で、1872年にイエローストーンに代表される国立公園の制度を成立させている。
私たちはマチづくりを考えるなかで、とりわけ風景(景観)を重要視してきたが、風景には国家意識を自覚させる役割もあったということである。
マチづくりは郷土愛の表現のひとつでもある。
郷土愛とは、良い風景や文化を後世に残すという人々の心でもある。
そう言われれば郷土愛とナショナリズムは、よく似ているような気もする。
上記の内容は、2008年NHKこころをよむ、ラジオ第2放送で1月から3月まで東京工業大学名誉教授・中村良夫氏の放送を集約した「風景からの町づくり」という本から抜粋したものです。