函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

論語から読み解く函館市議会

2024年08月12日 10時13分37秒 | えいこう語る
▼国内で「魅力あるまち」上位に選ばれる観光都市函館。早稲田大マニフェスト研究所による、23年度の議会改革度調査の中核都市部門(82市)で、過去最低の49位に下落した。

▼2004年に私の村(椴法華)も、近隣3町と函館市に合併した。以来私は「村民」から『市民』へと昇格!?した。

▼今年で合併20年をむかえるが、その間「市民」とはなにかということを問い続けてきた。その間2011年に「函館市自治基本条例」が制定された。

▼その目的の第1条には【市民自治によるまちづくりを目的とする】とある。【市民自治】こそまちづくりの基本であり『民主主義】の本質だと認識し、合併の意義を実感した。

▼この自治条例制定で、「村民」から『市民』への自覚が、少し色濃くなった時期だ。だがこの『自治条例』、まったく絵に描いた餅になってしまった。

▼日本で初めて「自治基本条例=まちづくり条例」を制定した、元ニセコ町長に尋ねたことがある。

▼「策定した後に、市民に理解させる努力が必要だ」と話していた。函館市の市民最大組織である「町会連合会」でも、自治基本条例理解の努力は見えない。

▼町会の基本テーマである「安全・安心のまちづくり」がある。津軽海峡の対岸の下北半島には、世界最大の大間原発が建設中だ。

▼函館市も国や建設会社に対し『建設凍結』を告訴した。町会連合会も、反対署名【14万6184筆」を集めた。だが町会は市側の応援に回るだけで、それ以上の活動はする必要がないという考えだ。

▼函館市民は「役所が上部にありそれに町会が協力する」という、同調主義が主流のようだ。まるで戦前のような、役所下請け機関のように感じる。

▼役所の幹部たちの中には『町会は役所に従っていればいい』ということを平気で発する者もいる。

▼早大研究所の報告では、市議会での質疑応答が、一字一句すり合わせを行っているという。さらに、議会が市民に対する報告会も開かれていない。

▼「観光都市函館」。そのブランドに頼りすぎて、本来の「市民自治」をないがしろにしてきたのではないか。

▼「市民」となって感じたのは、函館市民は、議会の議決に対し、まったく無関心のように思える。一つ例を挙げたい。

▼函館市は1984年に「核兵器廃絶平和都市宣言」を行っている。多分そのことを理解している市民は多くない。

▼さらに2015年の市議会では「集団的自衛権行使容認」を『15VS14』で可決している。戦争をできる国に函館市議会は賛同している。

▼そこに市民報告会がないから、市民が自分が住んでるまちが、戦争に加担するということを表明したということも知らされない。

▼つまり多くの函館市民は「お任せ民主主義」なのだ。市民の最大組織である「町会連合会」が、議会報告会のイニシアチブをとるぐらいの存在であってほしい。そのために「自治基本条例」が制定されているのだから。

▼論語に【民は由らしむべし、之を知らしむべからず】というのがある。この意味を多くの日本人は間違った理解をしているようだ。

▼私も同様だった。「役所は市民を近寄らせるポーズはとるが、本当のことは伝えない」という解釈をしていた。

▼本来の意味は『為政者が定めた法律によって、人民を従わせることはできるが、その法律の道理を理解させるには難しい』という意味だ。

▼だが今の函館市には【市民は法律にしたがわせておけばよいもので、その意味や道理を理解させる必要はない】という、俗な考え方が正解のようだ。

▼「市民」とは、政治に向き合って自治意識を持つ人のことを言う。町会連合会でも「政治的なことは扱わない」という、政治参加をタブー視する反民主主義的な傾向がある。

▼日本国憲法には【国民主権】と明記されている。政治に関心を持たない者は、主権者を放棄しているということだ。

▼こんな市議会と市民の関係レベルを、早大研究所が指摘した。これは函館市の「市民自治」の劣化を示すものであり、民主主義の劣化を浮き彫りにしたものでもある。

▼合併から20年。私は【市民という名の村民のまま】でいるのを、今ちょっぴり認識し始めている。

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