夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

ある会社員

2013-06-25 22:13:39 | 映画

『映画は映画だ』(2008)、『ただ君だけ』(2011)のソ・ジソブ主演なので、かなり期待して見に行った。
一見、平凡な会社員、実は組織の忠実な殺し屋、というのはよくある設定ではあるが…。

内容の紹介

正直、主人公チ・ヒョンド(ソ・ジソブ)の勤める会社が非現実的すぎて、いくらなんでもありえないだろうと思ってしまった。
ソウルのビジネス街にある中小企業・NCM(新大陸金属)は、表向き金属貿易商社だが、営業第二部だけは別フロアで、契約殺人を専属に請け負う部署。
その部署の社員たちは、出勤すると、クライアントに提案する(殺人などの)企画書を練り、射撃や格闘の訓練に励む。また、ヒョンドが最初に勤務していた「備品室」は、秘密の扉を開けて歩いて行くと、謎の地下室に通じている…といった設定は、いつの時代の話だよ!と言いたくなってしまった。


そんなヒョンドがあるとき偶然知り合ったのは、昔、少年の頃に憧れていた元アイドル歌手のユ・ミヨン(イ・ミヨン)。
彼女はヒット曲を持つ人気歌手でありながら、妊娠して芸能界を去り、現在では裁縫工場で働きながら、シングルマザーとして必死で二人の子どもを育てている。
何度も会ううちにヒョンドはミヨンに惹かれていき、彼女との平凡な生活を夢見るようになる。
しかし、次第に組織に忠実でなくなっていくヒョンドは、周囲から怪しまれてその行動を見張られるようになり、ついに不適格と判断されて「解雇」(=抹殺)の対象となってしまう。一方、ヒョンドも、ミヨンと新しい人生を送るために、組織と対決する覚悟を固めるが…。

感想

俳優たちの演技やアクションは素晴らしいのだが、いかんせん設定が現実味に乏しいので、やや醒めた目で鑑賞することになってしまった。
ソ・ジソブの抑制の利いた演技や、激しい格闘シーンは見もの。ファンの方には是非ご覧いただきたい。
イ・ミヨンは、私は今まで知らなかったが、韓国では以前、青春スターとして人気を集め、その後もドラマや映画に数多く出演しているそうだ。きれいな女優さんで、演技も自然でとてもよかった。
ヒョンドに乞われて、かつてのヒット曲を弾き語りするこのシーンは胸にじーんときた。
見てもまず損のない映画だと思う。

ゆくものはかくのごとき…

2013-06-24 23:03:29 | 日記
昨日、恩師からメールが来ていて、
「論文の抜刷(ぬきずり)ができたので、ご都合のよい時に取りに来てください。」
とのことだった。
これは、ごく内輪の学会誌なのではあるが、恩師が編集責任者をされていて、先日の東京例会でお会いした折に、その話をしていたのだ。(このあたり、少々込み入った事情があるのだが、ここでは省く。)

早速、今日の仕事が終わってから、恩師の研究室の前に置いてあるというのを取りに行く。以前は、旧教養部にその研究室はあったのだが、現在は文学部の講義棟内に移っている。
図書館には時折閲覧で来ているが、講義棟に入るのは久しぶり、しかも、ここ数年続いていた改修工事が済んでから来るのは初めてなので、中に入って、あまりの変わりようにびっくりしてしまった。

老朽化しているだけでなく、昼間でも常に暗く、夜などは狐狸でも出そうな雰囲気だった廊下や階段も、リニューアルしてとても明るくなった。センサー付きの照明、白とペパーミントグリーンを基調に塗られた壁面、透明ガラスで室内が外から見えるドアや窓など、快適そうな研究・教育環境になっていた。
教官方の研究室も、学生・院生の演習室とともに3階から5階に移動していた。抜刷は雑誌とともに、大学の名前入りのビニール袋に入って、教官研究室のドアノブに吊り下げられていた。恩師は不在だったが、お心遣いに感謝し、ありがたく受け取って帰ってきた。


在学中は、この建物の5階に来ることはほとんどなかったが、ここからの見晴らしはとてもよく、窓のもとで足を止めて、しばらく見入ってしまった。
大学のシンボルである中央図書館の時計台の向こうに、植物園のある半田山が見える。曇り空だったのがちょっと残念。

花もて祭る

2013-06-23 23:52:27 | 日記


父方の祖母が亡くなってもう一年になる。今日は父親の実家に親族が集まり、法事があったのだが、出席することができなかった。
両親とも、お前は無理に来なくていいよ、と言ってはくれるが、自分のわがままで故郷を離れ、遠方で暮らし続けていることを、時に申し訳なく思う。
せめて今夜は、ひとり故人を追懐し、遺徳を偲ぶことを、読者にはお許し願いたい。



「花もて祭る」という言葉は、私の大学時代、『万葉集』の挽歌(ばんか=人の死を悼む歌)を研究されていた先生から、ご著書を頂戴した折、その裏表紙に記していただいた言葉である。
もとは『日本書紀』(巻第一・神代上・第五段)に、
一書に曰く、伊奘冉尊(いざなみのみこと)、火神を生みたまふ時に、灼(や)かれて神退去(かむさ)ります。 故(かれ)、紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。 土俗(くにひと)此の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には亦(また)花を以(も)ちて祭る。 又鼓(つづみ)・吹(ふえ)・幡旗(はた)を用(も)ちて、歌舞ひて祭る。
とあるのによる。
神話では、女神のイザナミは、火の神を生んだ時に、火傷をして亡くなったことになっている。ある伝承によると、イザナミは紀伊国の熊野の有馬村に葬られたが、その土地の人々は、この神の霊魂を祭るのに、花の時期には花を供え、また、歌舞を演じて祭ったという。
亡き人の魂を祀るのに、「花の時には花を以ちて祭る」という素朴な祭祀のあり方に、自然と心が惹かれる。
そういえば、先述のご著書には、「恋い慕いながら生きる者がある限り、死者はそのうちに生き続ける」という一節もあった。



上掲の写真は、先日半田山植物園に行ったときのもの。遠く離れた場所からではあるが、祖母の冥福を心から祈る。

  なき人の魂(みたま)に捧ぐ料ぞとて花もて祭る今日にもあるかな

キャッチ・ザ・フォール

2013-06-22 23:46:59 | JAPANの思い出・洋楽


1987年発売。元ジャパンのスティーヴ・ジャンセンとリチャード・バルビエリが結成したユニット、ドルフィン・ブラザースのアルバムである。
もともと、ジャパン時代から音楽的な共通性が多いと言われていた二人。1985年には、NASAのスペースシャトルから撮られた宇宙空間の映像を収録したドキュメンタリー・ビデオに音楽を付けたサウンドトラックアルバム『ワールド・イン・ア・スモール・ルーム』を発表していた。(ただし、私は未聴)。こちらはインストゥルメンタル作品(1曲だけスティーヴのボーカル付)だったが、『キャッチ・ザ・フォール』では、スティーヴが全曲でボーカルも担当している。

1.キャッチ・ザ・フォール
2.シャイニング
3.セカンド・サイト
4.ラヴ・ザット・ユー・ニード
5.リアル・ライフ、リアル・アンサーズ
6.ホスト・トゥ・ザ・ホーリー
7.マイ・ウィンター
8.プッシング・ザ・リヴァー

私が持っているCDは、UK版なので以上の8曲なのだが、1988年に日本で発売された日本版には、ボーナス・トラックとして「9.フェイス・トゥ・フェイス」が追加されていた。(「フェイス・トゥ・フェイス」は軽快で覚えやすく、魅力的な曲なので、やはりこの曲が収録されている日本版の方がよい。)


このアルバムは全体的に、後期ジャパンをポップにしたような曲が多く、DURAN²のサイモンとニックらのプロジェクト、アーケイディアのサウンドにもやや近いものがあると思う。また、デヴィッドがソロになってからの活動にも、スティーヴはほとんど参加しているし、リチャードも1、2枚目のアルバムで参加していたため、それらとの共通性も感じる(実際、演奏しているミュージシャンも、フィル・パーマー(g)、ダニー・トンプソン(b)などは一緒だ)。特に、デヴィッドのソロ第二作『ゴーン・トゥ・アース』ボーカル編のような、混沌とした雰囲気に包まれた曲にいいものが多いように思う。

私としては、1、4、7のようなスローな曲が好きで、物憂くはかなげな音の世界にずっとたゆたっていたくなる。
多くの人は、物悲しい秋の夜長に聴くにふさわしいアルバムというだろうが、私は初めてこのCDを入手してハマっていた時期が、ちょうど今ぐらいの梅雨の時期だったため、今でもこの季節になると無性に聴きたくなってしまう。

スティーヴの声や歌唱法は、デヴィッドによく似ていて、初めて聴いたときは驚いた。やはり兄弟なのだな。
シンセサイザーの使われ方や、民族音楽へのアプローチなどにはリチャードの個性を強く感じ、リチャードがジャパンで果たしていたサウンドクリエイターとしての役割の大きさが、今さらのようによくわかる。

YMOなどの制作にエンジニアとして携わった飯尾芳史のプロデュースとコンピュータ処理により、音もクリアで聞きやすく、上質なサウンドに仕上がっていると思う。ジャパンに関心のある方には必聴の作品だ。

日本酒紀行(9)八海山・庭のうぐいす・山和

2013-06-21 23:39:27 | 日本酒紀行


八海山・特別純米原酒
八海酒造(新潟・南魚沼市)のお酒。
アルコール分17.5度、精米歩合55%。

食前酒的な感じで、小ぶりのグラス一杯分だけいただいた。
店長が薄く削ったシャーベット状の氷を半分ほど入れた上に、お酒を注いでくれ、オンザロックで味わう。
味がしっかりしているので、こうして飲んでも味が崩れない。
夏の夜にぴったりという感じの飲み方。口にすると、ひんやりとさわやかな涼気が立ちこめ、暑さも忘れてしまう。

庭のうぐいす 特別純米 夏がこい
山口酒造(福岡・久留米市)のお酒。
アルコール分15度、精米歩合60%。
日本酒度+6、酸度2.5。

水かと思うほどクセがなく、飲みやすい淡麗な酒である。
香りも味もほのかで、上品な風味だが、正直少々物足りなく感じてしまった。

山和 特別純米 中取り原酒
山和酒造(宮城・加美郡)のお酒。
アルコール分17度以上18度未満、蔵の華100%使用、精米歩合60%。
日本酒度+3、酸度1.8。

最後に本命が来た感じ。中取りといって、贅沢に美味しいところだけを取った、うまみの強いお酒という説明を受けたが、すでに鼻や舌があまり利かなくなっており、とてもおいしかったとしか言えないのが情けない…。


それにしても、このお店でお酒を飲む時いつも感心するのは、店長がどんなに忙しい時でも、必ず持ってきたお酒について説明してくれることだ。
店長が言っていたのだが、先日、お店の仕事が終わった後、同僚と駅前の居酒屋に飲みに行ったとき、八海山を頼んだら、そこそこ高い値段でいいお酒なのに、バイトのお姉ちゃんがただ持って来て、ただ置いていっただけなので、残念に思った。やはりどんなお酒で、どんな風に味わうのがよいかということをお客さんに説明するのも、おもてなしではないだろうかと感じた、ということだった。

フランス料理のレストランなどでは、ソムリエがお客の要望を聞いてワインを選んだり、給仕をしたり、ワインの説明をしてくれたりする。居酒屋と一緒にしてはいけないかもしれないが、いいお酒を供するときは、お客さんと会話したり説明をしたりしてその心を開き、美味しく飲んでいただく、というのも味のうちなのだ、と店長が考えておられるのがよくわかった。

我々はとかく、いい物を扱い、いい仕事をしていれば、説明は必要ないと考えがちだ。
しかしそれは独りよがりの見方で、実際はひとかどの人物ほど自分の仕事を上手に説明し、最高の満足を味わってもらえるように努力している(それが自然に身についている)。この店長には、そういう面で啓発され感化されることが非常に多い。
また次にお店に訪れる機会を楽しみにしている。