夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

花もて祭る

2013-06-23 23:52:27 | 日記


父方の祖母が亡くなってもう一年になる。今日は父親の実家に親族が集まり、法事があったのだが、出席することができなかった。
両親とも、お前は無理に来なくていいよ、と言ってはくれるが、自分のわがままで故郷を離れ、遠方で暮らし続けていることを、時に申し訳なく思う。
せめて今夜は、ひとり故人を追懐し、遺徳を偲ぶことを、読者にはお許し願いたい。



「花もて祭る」という言葉は、私の大学時代、『万葉集』の挽歌(ばんか=人の死を悼む歌)を研究されていた先生から、ご著書を頂戴した折、その裏表紙に記していただいた言葉である。
もとは『日本書紀』(巻第一・神代上・第五段)に、
一書に曰く、伊奘冉尊(いざなみのみこと)、火神を生みたまふ時に、灼(や)かれて神退去(かむさ)ります。 故(かれ)、紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。 土俗(くにひと)此の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には亦(また)花を以(も)ちて祭る。 又鼓(つづみ)・吹(ふえ)・幡旗(はた)を用(も)ちて、歌舞ひて祭る。
とあるのによる。
神話では、女神のイザナミは、火の神を生んだ時に、火傷をして亡くなったことになっている。ある伝承によると、イザナミは紀伊国の熊野の有馬村に葬られたが、その土地の人々は、この神の霊魂を祭るのに、花の時期には花を供え、また、歌舞を演じて祭ったという。
亡き人の魂を祀るのに、「花の時には花を以ちて祭る」という素朴な祭祀のあり方に、自然と心が惹かれる。
そういえば、先述のご著書には、「恋い慕いながら生きる者がある限り、死者はそのうちに生き続ける」という一節もあった。



上掲の写真は、先日半田山植物園に行ったときのもの。遠く離れた場所からではあるが、祖母の冥福を心から祈る。

  なき人の魂(みたま)に捧ぐ料ぞとて花もて祭る今日にもあるかな

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
慈しみ (風の靴)
2013-06-24 15:50:22
そうなのですか・・・

御祖母様の一周忌でいらっしゃるのですね

遠くからではありますがお祈りいたします

ちかさださんにとって御祖母様との記憶は本当に沢山おありなのでしょう・・・

今は亡き方との思い出は大切なものですよね

御祖母様はちかさださんの心の中にいつも一緒においでだと思います。

お話から、ちかさださんの御祖母様への慈愛と、御両親のちかさださんへの深い愛が感じられました。(笑)


返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。