ジャパン最後のスタジオ録音アルバムとなった『錻力の太鼓』(1981)を買ってから、B面最初の曲(当時はレコードだった)「スティル・ライフ・イン・モービル・ホームズ」がずっとお気に入りだった。『ジャパン・ヒストリー』では、「イエロー・マジック・オーケストラの後期の作品のひとつか、と聞きまちがえるくらいの秀作だ」と紹介されている。
ロックぽいのに、オリエンタルな要素を強く感じさせる不思議な曲調の作品で、細かくリズムを刻むスティーブのドラム、低くうねりながら自由に跳ね回るミックのベース、デヴィッドの鋭く研ぎ澄まされたボーカルはすばらしい。リチャードのシンセサイザーは、サビで鳴っている音を聴いていると、どこか遠い世界へ誘われるようで、いつまでもずっとこの曲の世界に浸っていたいと思った。
ただ、当時わからなかったのが、サビでも繰り返し歌われるタイトルの意味で、「still life」はわかるけど、「mobile homes」とはなんなのだろうと思っていた。歌詞カードの対訳にも、「モービルホームで暮らす動きのない生活」と書いてあったように思う。いちおう英和辞典も調べたのだが、「(トレーラー式の)移動住宅」と書いてあるだけで、キャンピングカーみたいなものなのだろうかと思いつつ、文脈に合わない気もするし、腑に落ちないままでいた。
ところが、数年前に『The Very Best Of JAPAN (DVD)』(2006)が発売され、この曲の映像を見て、長年の謎が解けたように思った。このDVDは主に、ジャパンが1982年の解散ツアーをしたときの英国ハマースミス・オデオンでのコンサートの模様に、中国・タイ・ビルマなどで撮った映像をイメージ的に挿入して編集したものである。そして、この曲のところでときどき流れる映像が、下のような感じの、東南アジアの水上生活者の暮らしなのである。(正しくは、実際のDVDか、ユーチューブで「Still life in mobile homes」を検索するかで見られる。)
Slow boat's moving with the tide
Drifting far from shore
The nature of this country life
I've never known before
The sound of wild life fills the air
So warm and dry
Twist and burn in this southen heat
Like an open fire
DVDの映像を見て初めて、この歌詞がデヴィッドの異国情緒への憧れを形象化したものであったことが理解できた。(遅すぎ?)解散ツアーの時、彼らがたぶん香港に行った際のものと思われるこんな写真があったことも思い出した。
(『ジャパン写真集 Japan Sons of Pioneers』 シンコーミュージック)
そういえば、デヴィッドは、「旅行して、未知の土地に初めて着き、そこの雰囲気に魅了されると、即座に気持の高ぶりを覚えるんだ。そんな高揚した気分を、僕達の音楽を通して、構築してみたくなるのさ」(『ジャパン・ヒストリー』)と言っていたっけ。
そこで思うのだが、デヴィッドにとっては、きっと、自分の作る曲の歌詞と音楽はわかちがたく結びついたもので、だからこそ原曲をバンドのメンバー達と試行錯誤を繰り返し、練り上げて一つの作品に仕上げてからも、自分のオリジナルであることを主張したのだろう。言い方は悪いが、デヴィッドは、自分の心に浮かんだイメージをより完全に具現化するために、ミックのベースやスティーブのドラムのパフォーマンスを自己表現の「道具」として必要としていたような気もする。
若い頃はあまり気づかなかったが、デヴィッドの歌詞は詩として確かにすばらしいところも多いが、言葉だけで自立しているのではなく、あくまでも音楽と互いに補いあって一つの世界を作り上げている。だから、ジャパンを聴くときも、ソロを聴くときも、可能な限り歌詞を思い出しつつ(あまり覚えてはいないのだが)、デヴィッドがこの曲を作りながら、歌いながら、何を思っていたのか考えるようになってきた。
これからも彼とジャパンの作品を聴きながら、新しい発見があることを楽しみにしている。
ロックぽいのに、オリエンタルな要素を強く感じさせる不思議な曲調の作品で、細かくリズムを刻むスティーブのドラム、低くうねりながら自由に跳ね回るミックのベース、デヴィッドの鋭く研ぎ澄まされたボーカルはすばらしい。リチャードのシンセサイザーは、サビで鳴っている音を聴いていると、どこか遠い世界へ誘われるようで、いつまでもずっとこの曲の世界に浸っていたいと思った。
ただ、当時わからなかったのが、サビでも繰り返し歌われるタイトルの意味で、「still life」はわかるけど、「mobile homes」とはなんなのだろうと思っていた。歌詞カードの対訳にも、「モービルホームで暮らす動きのない生活」と書いてあったように思う。いちおう英和辞典も調べたのだが、「(トレーラー式の)移動住宅」と書いてあるだけで、キャンピングカーみたいなものなのだろうかと思いつつ、文脈に合わない気もするし、腑に落ちないままでいた。
ところが、数年前に『The Very Best Of JAPAN (DVD)』(2006)が発売され、この曲の映像を見て、長年の謎が解けたように思った。このDVDは主に、ジャパンが1982年の解散ツアーをしたときの英国ハマースミス・オデオンでのコンサートの模様に、中国・タイ・ビルマなどで撮った映像をイメージ的に挿入して編集したものである。そして、この曲のところでときどき流れる映像が、下のような感じの、東南アジアの水上生活者の暮らしなのである。(正しくは、実際のDVDか、ユーチューブで「Still life in mobile homes」を検索するかで見られる。)
Slow boat's moving with the tide
Drifting far from shore
The nature of this country life
I've never known before
The sound of wild life fills the air
So warm and dry
Twist and burn in this southen heat
Like an open fire
DVDの映像を見て初めて、この歌詞がデヴィッドの異国情緒への憧れを形象化したものであったことが理解できた。(遅すぎ?)解散ツアーの時、彼らがたぶん香港に行った際のものと思われるこんな写真があったことも思い出した。
(『ジャパン写真集 Japan Sons of Pioneers』 シンコーミュージック)
そういえば、デヴィッドは、「旅行して、未知の土地に初めて着き、そこの雰囲気に魅了されると、即座に気持の高ぶりを覚えるんだ。そんな高揚した気分を、僕達の音楽を通して、構築してみたくなるのさ」(『ジャパン・ヒストリー』)と言っていたっけ。
そこで思うのだが、デヴィッドにとっては、きっと、自分の作る曲の歌詞と音楽はわかちがたく結びついたもので、だからこそ原曲をバンドのメンバー達と試行錯誤を繰り返し、練り上げて一つの作品に仕上げてからも、自分のオリジナルであることを主張したのだろう。言い方は悪いが、デヴィッドは、自分の心に浮かんだイメージをより完全に具現化するために、ミックのベースやスティーブのドラムのパフォーマンスを自己表現の「道具」として必要としていたような気もする。
若い頃はあまり気づかなかったが、デヴィッドの歌詞は詩として確かにすばらしいところも多いが、言葉だけで自立しているのではなく、あくまでも音楽と互いに補いあって一つの世界を作り上げている。だから、ジャパンを聴くときも、ソロを聴くときも、可能な限り歌詞を思い出しつつ(あまり覚えてはいないのだが)、デヴィッドがこの曲を作りながら、歌いながら、何を思っていたのか考えるようになってきた。
これからも彼とジャパンの作品を聴きながら、新しい発見があることを楽しみにしている。