今月末の締め切りに向けて、ある論文を書いているのだが、なかなか進まない。
ちょっと書いては休み、また書いては休み、まさに蝸牛の歩みである。
ただ、私にとっては、自分を表現できる手段は、授業と文章を書くことしかないので、今の自分にできる限りのことをするしかないのである。
昨日のミック・カーンの言葉ではないが、文章を書くことの中に、私の自己実現も自己表現も自己逃避もある。
先ほども、進まない論文を途中で置いて、外に散歩に出かけてきた。
完全に現実逃避だが、一方で、普段は気づかないことに気づくのも、こういう時である。
昼間にもきっと鳴いてはいたのだろうが、夜はことに虫の鳴き声が耳に響いてくる。歩みを止めて、じっと耳を澄ますと、先ほどまでは一つの音の響きにしか聞こえなかったものが、コオロギ、スズムシ、ウマオイなど、それぞれの鳴き声が別個に聞こえてくるようになる。冬にはいなくなってしまう虫たちは、今が自分たちの季節と知って、盛んに鳴いているのだろうな、と思った。
虫の音のしげき野辺かな秋の夜をおのが時とや鳴きわたるらむ
ちょっと書いては休み、また書いては休み、まさに蝸牛の歩みである。
ただ、私にとっては、自分を表現できる手段は、授業と文章を書くことしかないので、今の自分にできる限りのことをするしかないのである。
昨日のミック・カーンの言葉ではないが、文章を書くことの中に、私の自己実現も自己表現も自己逃避もある。
先ほども、進まない論文を途中で置いて、外に散歩に出かけてきた。
完全に現実逃避だが、一方で、普段は気づかないことに気づくのも、こういう時である。
昼間にもきっと鳴いてはいたのだろうが、夜はことに虫の鳴き声が耳に響いてくる。歩みを止めて、じっと耳を澄ますと、先ほどまでは一つの音の響きにしか聞こえなかったものが、コオロギ、スズムシ、ウマオイなど、それぞれの鳴き声が別個に聞こえてくるようになる。冬にはいなくなってしまう虫たちは、今が自分たちの季節と知って、盛んに鳴いているのだろうな、と思った。
虫の音のしげき野辺かな秋の夜をおのが時とや鳴きわたるらむ