夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

キャッチ・ザ・フォール

2013-06-22 23:46:59 | JAPANの思い出・洋楽


1987年発売。元ジャパンのスティーヴ・ジャンセンとリチャード・バルビエリが結成したユニット、ドルフィン・ブラザースのアルバムである。
もともと、ジャパン時代から音楽的な共通性が多いと言われていた二人。1985年には、NASAのスペースシャトルから撮られた宇宙空間の映像を収録したドキュメンタリー・ビデオに音楽を付けたサウンドトラックアルバム『ワールド・イン・ア・スモール・ルーム』を発表していた。(ただし、私は未聴)。こちらはインストゥルメンタル作品(1曲だけスティーヴのボーカル付)だったが、『キャッチ・ザ・フォール』では、スティーヴが全曲でボーカルも担当している。

1.キャッチ・ザ・フォール
2.シャイニング
3.セカンド・サイト
4.ラヴ・ザット・ユー・ニード
5.リアル・ライフ、リアル・アンサーズ
6.ホスト・トゥ・ザ・ホーリー
7.マイ・ウィンター
8.プッシング・ザ・リヴァー

私が持っているCDは、UK版なので以上の8曲なのだが、1988年に日本で発売された日本版には、ボーナス・トラックとして「9.フェイス・トゥ・フェイス」が追加されていた。(「フェイス・トゥ・フェイス」は軽快で覚えやすく、魅力的な曲なので、やはりこの曲が収録されている日本版の方がよい。)


このアルバムは全体的に、後期ジャパンをポップにしたような曲が多く、DURAN²のサイモンとニックらのプロジェクト、アーケイディアのサウンドにもやや近いものがあると思う。また、デヴィッドがソロになってからの活動にも、スティーヴはほとんど参加しているし、リチャードも1、2枚目のアルバムで参加していたため、それらとの共通性も感じる(実際、演奏しているミュージシャンも、フィル・パーマー(g)、ダニー・トンプソン(b)などは一緒だ)。特に、デヴィッドのソロ第二作『ゴーン・トゥ・アース』ボーカル編のような、混沌とした雰囲気に包まれた曲にいいものが多いように思う。

私としては、1、4、7のようなスローな曲が好きで、物憂くはかなげな音の世界にずっとたゆたっていたくなる。
多くの人は、物悲しい秋の夜長に聴くにふさわしいアルバムというだろうが、私は初めてこのCDを入手してハマっていた時期が、ちょうど今ぐらいの梅雨の時期だったため、今でもこの季節になると無性に聴きたくなってしまう。

スティーヴの声や歌唱法は、デヴィッドによく似ていて、初めて聴いたときは驚いた。やはり兄弟なのだな。
シンセサイザーの使われ方や、民族音楽へのアプローチなどにはリチャードの個性を強く感じ、リチャードがジャパンで果たしていたサウンドクリエイターとしての役割の大きさが、今さらのようによくわかる。

YMOなどの制作にエンジニアとして携わった飯尾芳史のプロデュースとコンピュータ処理により、音もクリアで聞きやすく、上質なサウンドに仕上がっていると思う。ジャパンに関心のある方には必聴の作品だ。

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2 コメント

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Unknown (ちかさだ)
2013-06-24 23:58:24
風の靴さん、コメントありがとうございました。
ユニット名の由来は知りませんでした。たしか当初は、「グレイ・スケール」という名前になるはずだったようですが…。
最近の動向についてはあまり知らなかったので、ご教示ありがとうございました。
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聴力 (風の靴)
2013-06-24 14:56:17
こんにちは!!!
おおっ~ドルフィン・ブラザーズ!!!
やっていましたね~、ステとリチャード!(笑)

ミック、スティーブ、リッチとシルヴィアン抜きの所謂ジャパンのリズム隊3人で様々なプロジェクトとを試みておりましたが、ミック、スティーブ、リチャードで結成したJBKも良かったと思います。

何故「ドルフィン・ブラザーズ」と名付けたかで確か「イルカは非常に優れた聴力を持っている、それにに由来している」と2人が言っていた記憶が・・・(笑)

私が思い出すのは、このプロジェクトの少し後の時期にあの「恋に落ちて」を大ヒットさせた小林明子女史が往年のジャパンフリークで1991年当時イギリスに渡りそれこそジャパン・マネーで(笑)

元JAPANのメンバーに声かけをして・・・
そこに現れたのがミック、スティーブ、リチャードの面々・・・

そこで彼らのプロデュースでと相成りまして・・・
明子さんは「Poli」?の名で売り出すも・・・
泣かず飛ばずの結果に・・・(これは3人のネームバリューの低さゆえか・・・)(苦笑)

と・・・関係ないお話しになりましてすみません・・・

話しは戻って・・・ちかさださんも仰る様にジャパンのあの独特な雰囲気を醸し出していた、核となる唯一無比なるミックのベースと共に、リチャードのシンセが所謂「ジャパンサウンド」を作り出すに当たって如何に重要な役割を果たしていたかが分かりますね。

(勿論!あのまるで一つの生命体の様にうねるステのドラムもあっての事ですが・・・)

スティーブはデヴィの自身のレーベル「サマディ・サウンド」での「NINE HORSES」や様々なミュージシャンとのコラボでデイヴィッドとアーティステックなプロジェクトで現在も精力的取り組んでおりますが・・・

(しかし・・・サマディの作品はどれもこれも素晴らしいものがある・・・)

何と言っても、リッチはJBKでも度々共演していたno-manのスティーブ・ウィルソンとのバンドporcupine treeでのここ数年の活躍は本当に目覚しいですよね。

この「PORCUPINE TREE」は1993年結成から現在に至るまで非常に世界的に、(特にヨーロッパでの)評価は高いです。

最後に思い出したことが・・・

JAPANの「ブリキ・・・」レコーディング当時はデヴィがリッチに「何故ここはリューイチの様に出来ないの?」なんて露骨に言っていたりして、周りがハラハラするぐらいだったらしいですね・・・

なんでもレコーディングでは、デヴィが一人でアコギを引きながら歌い、一度それを消して、その後メンバーとデヴィッドが意見をぶつけ合いながら、それぞれにパートを作り上げていった・・・

ゆえにお互いが自分のパート以外で何が起きているかが分からない状況で、指針になるのはシルヴイアンの」美意識のみ」と・・・おそらく現場はピリピリ感が凄かったでしょう。

ですからそんな中でのミックとの激しい衝突も考えられます・・・

もしかして・・・

ミックもこんな風に現在活躍できていた可能性もあったのではと考えるとやはり・・・
切ないものがあります・・・
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