昨日の朝、母親から電話があり、一昨日に祖母(母方の)が亡くなったことを知らされた。
百四歳ではあったし、数年来ほとんど寝たきりで、いつこうなってもおかしくないことは分かっていたはずなのに、それでも胸を押さえつけられたような苦しさを感じている。
先日、帰省したとき、昨年のように母親と、祖母の入院していた病院を訪ねておかなかったことが悔やまれる。
いつかくることなのに、どこかでまだ先のことと楽観していたのかもしれない。今日はずっと、
先立たぬ悔いの八千たび悲しきは流るる水の帰り来ぬなり
という古今集の歌の、「先立たぬ悔い」という言葉が心に浮かんでいた。
明日は午前中は仕事に出なければならないが、午後から帰省し、明後日の祖母の葬儀に出席する。
こんな時は、勤め人である身の境遇がつらく感じる。
百四歳ではあったし、数年来ほとんど寝たきりで、いつこうなってもおかしくないことは分かっていたはずなのに、それでも胸を押さえつけられたような苦しさを感じている。
先日、帰省したとき、昨年のように母親と、祖母の入院していた病院を訪ねておかなかったことが悔やまれる。
いつかくることなのに、どこかでまだ先のことと楽観していたのかもしれない。今日はずっと、
先立たぬ悔いの八千たび悲しきは流るる水の帰り来ぬなり
という古今集の歌の、「先立たぬ悔い」という言葉が心に浮かんでいた。
明日は午前中は仕事に出なければならないが、午後から帰省し、明後日の祖母の葬儀に出席する。
こんな時は、勤め人である身の境遇がつらく感じる。