夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

レ・ミゼラブル

2013-02-16 13:24:27 | 映画
昨年からずっと行きたいと思っていた映画をようやく観ることができた。



あらすじ(さわりだけ)
妹の子どものためにパン一つを盗んだだけで、19年も囚人として暮らすことになった(盗みは5年の罪、あとは脱獄罪)ジャン・バルジャンの数奇な運命の物語。

1815年。ジャン・バルジャンは仮出獄を許されるが、危険人物として仮釈放は一生続くと言われており、指令があれば出頭しなければならない。ジャンには身分証がないため、仕事も泊まるところもなく、食べ物さえ売ってもらえない。心が荒み、体も疲れ果てて教会の前で倒れていたところを、司教に助けられ、暖をとらせてもらい、食事も与えられる。しかし、その夜、教会の銀器を盗み出して逃亡したところを、尾行していた警官につかまる。銀器は司教からもらったものだと言い張るジャンの嘘にも、司教は警官に「彼の話は本当だ」と言ってくれた上に、忘れ物だと言って銀の燭台まで与えてくれる。
司教は、「私はあなたの魂を救い、神に捧げよう。正しい人になってくれ」とジャンに諭す。

その後、ジャンは心から懺悔する。
「世間を憎み、罪人として生きてきた自分を司教は受け入れ、兄弟と呼び、自由を与えてくれた。自分は、苦しみだけの罪の渦巻く世界から抜け出して、生まれ変わろう。」
ジャンは仮出獄許可証を破り捨て、別の人生を歩むことを決意するが…。

感想
この作品は、小学生の頃、子ども向けの『ああ、無情』を読み、またフランス版の映画も観た(原作は未読)。だから、だいたいの内容は覚えているつもりでいたが、今回この映画を観て、初めて知ったり、昔は気づかなかったことを発見したりも多い。



その一つは、フォンテーヌ(アン・ハサウェイが演じていた)。仮釈放から8年後、名前を変えて成功し、パリ市長となったジャンが経営する工場をクビになったフォンテーヌが、娘のコゼットを育てるために髪を売り、歯を売り、というのは覚えていた。だが、そこから娼婦にまで身を落とすのは知らなかったので、子どもがいながらはした金のために体を売る惨めな境遇の変化に、やりきれない気持ちになった。
(その後、フォンテーヌは客ともめごとを起こし、逮捕されようとするのをジャンが阻止し、病気づいた彼女を救ってやる。また、間もなく彼女が亡くなるときには、ジャンが「コゼットは自分が引き取って幸せにする」と約束する。)
ちなみに、子どもの頃のコゼットは、原作挿絵のイメージそのままなので、驚いてしまった。
 

二つ目は、19世紀のパリの庶民の貧しい、ほとんど悲惨な生活や、革命運動など、当時の世相がふんだんに話の中に盛り込まれていること。三つ目は、信仰がこの作品の主題に大きく関わっていること。この二点は、昔の私はあまり気づいていなかった。



最後の、ジャンが天に召される場面は、内容をすでに知っているはずなのに、やはり涙を誘われる。コゼットとマリウスの結婚式のとき、ふとした出来事がきっかけで、夫のマリウスは、コゼットの育ての父親のジャンが、自分の命の恩人であったことを知る。以前の革命運動の際、瀕死の重傷を負った自分を、ジャンがバリケードから下水道を通って脱出させ、病院に運んでくれたからこそ、今自分は生きている。…修道院で、間もなく息を引き取ろうとしているジャンのもとに、マリウスは式場からコゼットを伴い、急いで駆けつける。ジャンは二人が来てくれたのを知り、
「全ての苦しみから解き放たれ、今、自分の人生は祝福された。」
と言って死んでいく。

この映画は、マッキントッシュ製作の舞台にもとづくミュージカル映画であり、登場人物の台詞は全編、生の歌声(!)。
2時間38分、演出過剰なところもあるけれど、役者達の熱演と、映像と音楽の圧倒的な迫力で、見る者を飽きさせないのはすごい。
前評判通りの内容で、十分に満足して帰ってきた。

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