夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

ブレイクスルーの機会は、日常にある!?

2012-01-13 23:43:47 | 教育
明日、センター試験の引率に行かれる先生の代理で、急遽1年生の授業に2時間連続で行くことになった。模試の過去問の解説をすることに決め、今日のうちに問題を解かせて回収。自分でも問題を解いて自己採点の後、生徒の答案の採点をし、教材研究に入る。1年生の問題なのに、選択肢問題で間違えたり、記述問題で解答要素が不足していたり、教員としてかなり恥ずかしい。でも、生徒と同じ立場で、まず問題を解いてみないと、どこで生徒がつまずくのか、実感として理解することは難しいので、どんなに忙しくても、この作業は必ずやることにしている。


それに、自分もそんなに大したことがないのが分かっていれば、生徒ができていなくても偉そうに叱ることもない。自分だって、高校生だった頃、模試を受けてもあまり得点はとれていなかったような気がする。


私の授業のスタンスは、「自分が高校生だったときに、こういう授業を受けられていればよかったな」というところにあるので、そんなに志が高いわけではない。

ただし、教材研究と授業準備はなるべくきっちりやって、文章の筆者や出題者の意図を解き明かし、自分にできる最もシンプルでわかりやすく、しかも美しい形で授業として提供することを心がけている。


今回の教材研究は、ポストモダンがテーマの手強い評論で、気しんどい作業が予想されたので、喫茶店に入って自分にケーキセットのご褒美を与えながら、黙々と作業をこなしていった。タイトルの理解、テーマ解説、段落分け、意味段落毎に内容をまとめ、設問解法の指示など基本は一通り押さえた上で(言うまでもなく、この問題にしか使えない解法は意味がないのだ)、あとはどれだけ生徒に興味を持たせられるかだ。


自分が問題を解く時に必要な理解と、自分より未熟な生徒に教えるために必要になる理解とは、次元が異なる。授業で教えるためには、基礎基本を徹底した教材研究によって、ブレイクスルーする経験が必要だ。ブレイクスルーというと、何か特別のことのように聞こえるが、私は、だから、その機会は日常に不断にあるのだと思っている。


明日は、いよいよセンター試験。国語は、どんな問題が出るのか楽しみだ。