ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手きままに!時々素人作詞家もやっています!シャンソンと浪曲大好き!4月から地元の高齢者大学に!

遠い存在

2019年04月19日 | 日記
あの島倉千代子は私にとってもはや遠い存在になりつつある。
いゃあ!とっくに遠い存在なのだ。
私が子供の頃から憧れていた島倉千代子は遠い遠い存在に!
あんなに好きだった島倉千代子はいないのだ。
どこを探してもいないのだ。
それに代わりクミコさんと言う存在が現れたが、それとて身近ではないのだ。
しかし彼女が現れてから彼女はスター気取りがなくどこかに庶民の顔も覗かせ親しみ易くなったのは言うまでもない。
それは彼女のブログから伺える。
気軽に電車に乗ることや、気軽にその辺のお店で買い物をすることからも伺える。
毎回外出は運転手付きの車ではないし、タクシーでも無いのだ。
着ている服がユニクロだったり無印良品だったりする。
気取ったところが無いのだ。
メガネにマスクに帽子は定番です。
その向こうに素顔が垣間見れるのだ。
あの島倉千代子さんはウォーキングをしても帰りはタクシーだったと聞いたことがあった。
自分で料理は作れないのだ。
彼女は食べ物の好き嫌いが激しいのだ。
食物アレルギーでない限り食べられるのだが、彼女は嫌いな物は口にしないのだ。
そして今や私が興味を持ったのが浪曲となった。
浪曲は肩肘張らない庶民の娯楽だと思うのだ。
何しろ木戸銭が安いのだ。
比較的安いのだ。
それこそ前出の島倉千代子などはコンサートでもそれなりの料金は取るのだ。
クミコさんもそれなりに料金は取るのだ。
それに比べればゆうに4時間は楽しめる浅草木馬亭の浪曲定席は2000円なのだ。
2000円で楽しめて、時には勉強にもなるのだ。
そこには涙と笑いの要素もあるのだ。
ましてや終演後はどの浪曲師も気さくだ。
終演後に出てきた浪曲師に気さくに話しかけることも出来るのだ。
お目当ての浪曲師と一言二言話が出来るのだ。
そこには気取らない気さくな浪曲師が多いに他ならない。
私はほぼ嫌いな浪曲師がいないので、帰り際に一言二言話が出来るのは嬉しいのだ。
ましてや木戸銭が2000円なのだ。
木戸銭と交通費だけあれば大丈夫なのだ。
私はペットボトルのお茶とコンビニのおにぎり持参で楽しんでいた。
それが前回からは自宅からお弁当持参で楽しんだのだ。
仲入りで買うモナカアイスも一つを夫婦で分けるのだ。
こんなに安価な娯楽は無いのだ。
そこそこご贔屓も出来たのだ。
と、言っても私はおひねりやら心付けを渡したことはない。
自分の懐と相談すれば安価な手作りのお菓子になるのだ。
この安価な手作りのお菓子は某師匠には好評のようです。
その某師匠は只今入院しています。
退院して復帰するまで生の浪曲は聴けません。
が、私は他の浪曲師でも以外と楽しんでしまうのだ。
なぜならほぼ嫌いな浪曲師がいないのだから!

拝んで祈って治るなら2

2019年04月18日 | 日記
2019.4.18
拝んで祈って治るなら私の病気も主人の病気も母の病気も治っていると思う。
拝んで祈って治るなら大学の医学部は要らないし、薬学部も要らないと思う。
しかし人々は苦しい時に神頼みをするのだ。
普段信仰心がなくても神にすがり、果ては新興宗教に救いを求めるのだ。
患者は医者を選べるが医者は患者を選べない。
私がもしも癌にでもなればおそらく最新の医療と治療を望むと思う。
お百度参りをしたって何かの新興宗教に救いを求めても治らないと思う。
それらは一時の気やすめにすぎないのだ。
私は病気になって何かに救いを求めたことは無いに等しい。
それよりも信頼できる病院の信頼できる先生にすべてをお任せすることの方が賢明な選択だと思う。
時にはセカンドオピニオンも必要なのだ。
さあて大型連休の過ごし方を模索している。
いやあ、どこに行っても交通費は高い。
ましてや混んでいるのだ。
さあ、どうしましょうか?
これから考えます。

拝んで治るなら!祈って治るなら!

2019年04月18日 | 日記
拝んで治るなら病院も医者も薬も最新治療も要らない!
基本拝んで治ることはあり得ないのだ。
祈って治るなら病院も医者も薬も最新治療も要らない。
祈って治ることなどあり得ないのだ。
何かにすがる。
それは単に心の拠り所でしかないのだ。
病気になったら良い病院の良い医師に出会うことは重要だと思う。
手術をする場合は、その病院の実績も重要です。
そして患者はあきらめない心を持つことです。
得てして患者は知識に乏しいのである意味まな板の鯉状態かも知れませんね。
手術には失敗もあることを頭のすみに入れておきましょう!
大丈夫!
すべてを先生に任せましょう!
やたらと調べた知識をひけらかすと嫌がる先生もいます。
おかしいと思うことは質問しましょう!
疑問は質問し、答えを聞いて解決します。
患者と医者はある意味信頼関係で成り立っています。
医者は患者を選べませんが、患者は医者を選べます。
セカンド・オピニオンも重要です。
少しでも疑問を感じたらセカンド・オピニオンを受けましょう!
手術は数時間にわたると思われます。
主人は首の手術をしました。
それの腰バージョンだと思います。
病院によってはまちまちですが、主人の病院では100人手術をして首の場合は98人が成功しています。
専門の病院や大きな病院ならそれなりに実績はあると思います。
一門会までに復帰できるといいですね。

死に方を模索する?

2019年04月17日 | 日記
死に方を模索する?
人間はどんな死に方がいいか?
模索する?
何かにつけてかわいそうだと言われる。
例えば車にひかれると言うと「車がかわいそうだ!」と!
電車にひかれると言うと「電車がかわいそうだ!」と言われる。
それならどんな死に方が理想的なのか?
それは誰にもわからないことだと思う。
どこにいても自分の居場所が無いに等しい。
自分の本当の居場所がわからないでいる。
何もかも上手くいかない人生だったと思う。
例えばどこかから飛び降りてもあらゆる人や物に迷惑をかけるのだ。
あらゆる人や物に迷惑のかからない死に方を模索している。
生きているより死んだ方が勝ちだとこのところ思う。
が、どういう死に方が理想的なのかわからないでいる。
病気で死ぬと言うことにもある意味で抵抗はあるのだ。
さりとて長生きしていていいことがあるとは思えないのだ。
過去の度重なる不幸も私の不幸など世の中の人々の不幸に比べれば大したことはないのだ。
毎日ブログに好き勝手なことを投稿しているのだ。
好き勝手なことが投稿出来なくなり制約が設けられればブログはやめてしまうかも知れない?
そもそも61年も生きるとは思ってもみなかったのだ。
ましてや母との同居も考えてはいなかったのだ!
すべては運命なのだ。
あらゆる私の人生において起こった出来事は運命なのだ。
あっ、このブログ好き勝手なことを書いていますので!
気にしないでくださいね。
適当なブログですから!

身の振り方を考える

2019年04月17日 | 日記
2019.4.17
61年も生きて来た。
そろそろ身の振り方を考えたいと思う。
何歳まで生きるかどうかわからない人生です。
このところ生きているのもしんどいような気がします。
あらゆる人に迷惑をかけているような気もします。
これから先も生きていていいんでしょうかね?
私が死んでも悲しむ人は主人だけでしょうね?
傍から見ればいい加減な人生でしょうが、私が人間の姿に生まれたことは良かったのでしょうか?
さりとて犬や猫に生まれてくると言うこともないわけで!
世の中心配してくれる人がいるうちがはなですね。
ところで師匠は少しは良くなりましたかね?
もう、長いこと生の声を聴いていないような気がします。
お見舞いに3回も行っておきながら…。