ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

やる気のなさを抱えつつ家事をする

2019年05月31日 | 介護
2019.5.31
ほとんどやる気のなさを抱えつつ家事をする。
持病の耳鳴りがひどい。
両耳に千匹以上の蝉を飼っている。
辛い中家事をする。
風呂釜を掃除したら思いのほかひどかった。
夕食を作る気も失せて本マグロの切り落としと焼き鳥とサラダに!
作った感無しの夕食を食べる。
相変わらず文句を言う母がいる。
焼き鳥が嫌い。
刺身は本マグロしか食べないときている。
少しでも耳鳴りが小さくなればと、思えど無理なようです。
ストレスはためないようにしたいが溜まる一方です。
毎日母に箸の上げ下ろしよろしく文句を言われていればストレスだって溜まります。
休日だってゆっくり寝たいが起こされる始末です。
明日は旦那が映画を観たいと!
庭の芝刈りも草むしりもしたいのですが、とにかくやる気が起こりません。
せめて耳鳴りだけでも小さくなればと思うばかりです。
極端な意欲低下の下家事をします。
すべての音は耳鳴りの中から聴いているのですよ。
この耳鳴りは25年近くの付き合いです。
最悪私の耳が聞こえなくなったら手話に指文字、筆談ですね。

全くの意欲低下ですが!

2019年05月31日 | 介護
ここ数日全くの意欲低下である。
やる気が起きない。
それでも家事をする。
私しか家事をする人がいないからだ。
お金を出して家政婦を雇うと言うことは無理だ。
雇うお金が無い!
同居の母は相変わらずうるさい。
その度に私は大声になる。
耳が遠いのだ。
私が大声で話せば母は怒鳴られたと思うのだ。
何だかしんどい身体を押して母の病院に付き添う。
たかが駅前なのにタクシーを呼ぶ。
駅前までも歩くのは母にとってはしんどいらしい?
私は何もしたくない身体を押して家事をする。
その私のした家事が母には気に入らないらしく、何時も文句を言われる。
誉められたことなど無いのだ。
やる気のなさを表した私の適当でいい加減な家事は母は嫌な様子。
これから来る入梅の時期を過ぎれば大丈夫だと思うが、私は言葉にならないほどのやる気の無さを感じているのだ。
そのやる気の無さを引きずって家事をする。
新しくなった洗濯機の使い方を学習しない母は毎回私に洗濯機を回すように催促する。
私は私で、重い身体を押して家事をする。
少しの間その辺に横になり寝てみてもスッキリはしないのだ。
いゃあ、6月が早く過ぎることを願いたいと!

季節の変わり目要注意!

2019年05月31日 | 介護
2019.5.31
この時季季節の変わり目は私のような病気の人はある意味要注意です。
何もしたくない。
眠い。
やたらと眠い。
少しの家事で疲れます。
出来ないながらもきちんとしようと思う自分がいます。
ある意味完璧を求めてしまう。
同居の母は完璧を求めます。
私に対して家事は完璧を求めます。
無理です。
100%完璧は無理です。
50%しか出来ません。
気持ちはやりたいのです。
きちんとやりたいのです。
でも無理です。
身体が無理です。
寝不足の私は昼間の睡魔とも戦っています。
母の望むようなことは無理です。
辛いときはその辺にうっぷして寝ます。
少しの間寝て、また続きを!
キッチンで料理を作っているときも、母が覗きに来ると大変です。
もう1品作ろうと思うと、その場で母にごちゃごちゃ言われて何もしたくない自分が顔を出します。
早くやる気のなさから抜け出そうと焦る自分が顔を出します。
さて、今日は午後から母の病院の付き添いです。

嫌だなと思うこと

2019年05月30日 | 介護
嫌だなと思うことが多くある。
その一つ一つに腹をたてている。
何か事件が起きると必ずと言っていいほど犯人は精神疾患の患者だと決めつける。
まるで私もその犯人と同じことをするのではないかと言う目で見られる。
世の中の出来事は必ずしも精神疾患の患者が起こすとは限らない。
しかし、世の中はそういう目で見る。
ご多分に漏れず、同居の母は私をそういう目で見る。
お前もいつか起こしかねないと!
精神疾患と言えども100人いたら100人が同じようなことをするとは限らない。
しかし世の中は大概の人がそういう目で見る。
私も刃物を持って暴れると?
しかし、私は刃物を持って暴れた経験が無いに等しい。
ごく一部の人の犯罪をそういう目で見られるのはある意味侵害でしかない。
時として母は人の話をきちんと聞かない。
自分の意見はあくまでも曲げない。
常識があればそんなことはしないのだ。
しかし、母は私を世間一般の常識のある人間だとは見ていない。
自分の常識や尺度で物事を見るので、無理なのだ。
私は常に母に振り回されているような気がする。
その証拠にさんざん持っていたリュックが大きいと言われ、小さなリュックを買ったのだ。
小さなリュックを買ったら喜んだのは母だった。
旦那のリュックもさんざん大きいと言われ、小さなリュックを買い、背負ったら物が入らないと言う有り様だった。
そもそもお弁当箱が入らない。本が入らない。
したがって旦那は小さなリュックをやめた。
お弁当箱はかなり小さいのだが、入らなかった。
リュックは肩から背負えと言われ、肩のすぐしたにリュックがくるように背負うのだ。
無理がある。
腰の辺りにリュックがきてはダメらしい?
首の下にリュックが来るのだ。
それが正しいリュックの背負い方らしい?
全くバカげてはいると思う。
私は出来るだけリュックの紐を短くする。
母いわくそれが正しいリュックの背負い方なのだ。
もう、こうなると何を言っても無駄なのだ。
戦っても負けるのだ。
いゃあ、リュック一つで争うのもバカらしい?


着るものが無い!

2019年05月30日 | 介護
着るものが無い!
この時期着るものが無い!
この間、かなりの服を処分した。
さんざん着ていた服やら何かを処分した。
そしたらタンスの引き出しがスカスカになった。
着るものが無い!本当に無い!
それでも朝の母との口論で洋服は捨てろと言われた。
まさかの連日同じ服は着れない。
ましてやこの暑さだ。
自宅にいても母と言い争いをするだけなので、家を出た。
バスに乗ろうと思ったら、遅れて来たバスがドアも開けずに行ってしまった。
母好みの小さなリュックを背負っている。
物が入らない。
肩にかかる紐が細いので背負いにくい。
おまけに若い人のように紐を伸ばしてはいけないらしいので、かなり上に背負っている。
何しろ我が家では世間の常識より母の常識の方がまかり通るのだ。
逆らうと偉いことになる。
靴もなかなか私の足に合う靴が無い。
何しろ幅広甲高外反母趾なのだから!
やっと足に合う靴を見つけたらとことん履く。
次の靴が見つからないのだ。
新しい靴も買ったらやはり足に合わないことがあった。
もう、この際だからデザインなどガタガタ言ってはいられない。
足に合えばいいのだ。
朝から母とやり合い、母はほかに行くところが無いと言う。
しまいに死にたいとまで口走る。
死にたいのは私の方なのだ。
しかし、母を残して死ねないのだ。
ましてや旦那もいるのだから!
バスが来た。
しかしこのバスは目的のところには行かない。
何故だか今日は目的のところまで行くバスが来ないのだ。
どうしたことだろう?
私は延々と目的のところに行くバスを待っている。
来るのは他所に行くバスばかりなのだ。