ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

長いこと師匠の生の声は聴いていない?

2019年04月24日 | 介護
2019.4.24
平成も残すところあとわずかになった。
名古屋の大きな大学病院に転院した師匠の声を長いこと聴いていないような気がする。
上野の病院に入院しているときに3回もお見舞いに行っておきながら、それからが長いような気がする。
私はそもそも師匠の声と培った芸歴に惚れたのだから、その声が生で聴けないことは寂しいと思う。
浪曲サイトで聴いたとて、生ではないのだ。
そもそも浪曲師が着物を着て浪曲をすると言うことには来るべき高齢化社会に無理があるのかもしれない。
膝や足腰が悪ければ座ってやってもいいと思う。
他の職種で言えば落語家や講釈師も膝や足腰が悪ければ座って演じてもいいと思う。
正座はきついと思う。
その証拠に変形性膝関節症の主人と母は正座が出来ないのだ。
食べに行った店が座敷なら入らないのだ。
椅子席の店を探す。
浪曲師が立って浪曲が出来ないことは引退だとしたら、悲しいのだ。
落語家や講釈師が正座で落語や講談が出来ないなら引退というのも悲しいのだ。
浪曲師も落語家も講釈師も日本における伝統芸能だと思うが、車いすの女優さんがいると言う話を聞いたことがあるので、ある意味、それもありだと思う。
歌手に至っては車いすの歌手もいるのだ。
そもそも浪曲も落語も講談も話芸なのだ。
浪曲師が立って演じられないのなら浪曲師ではないと言うのもおかしな話ではないかと思う。
そりゃあ、師匠が手術をし、リハビリをし、立って演じることが望ましいと思うが、師匠でなくても同じような病気になったら浪曲が出来ないと言うことは悲しいと思う。
まあ、ここに書いたのはあくまでも個人的な意見です。
私は師匠はある意味不死身だと思っているので、手術が成功し、必ずや舞台に復帰すると信じています。

高齢者大学

2019年04月24日 | 介護
午前中、公民館の高齢者大学に行く。
昨日、アマゾンから怪しげなメールが来たので、パソコン教室の先生に連絡したら1時半なら大丈夫だと言われて、パソコン持参でした。
ことのほか高齢者大学が早く終わり、自宅に帰って出直すのもめんどうなので、マックで暇を潰す。
高齢者大学ではクラブ活動を何にするかを決める。
さすがに木馬亭に一緒に浪曲を聴きに行く人はいなかった。
私もカラオケやら散策やら卓球やら絵手紙に手をあげる。
卓球は初心者ではない。
絵手紙は以前長くやっていた。
カラオケは一度やりたかったので!5人集まればクラブは作れると言う。
高齢者と言えども浪曲観賞をしたいと言う人はいなかった。
友達誘って木馬亭は無理なようです。
お揃いのクラスのTシャツの色とクラスの名称も決まった。
Tシャツは藤色になり、クラスの名称がすみれ組になった。
少しずつ係りも決まり、それなりに意見を出しあい、終わった。
友達が欲しいのが目的にあったので、素敵な友達が作りたいと思う。
これからは母の介護と高齢者大学で忙しくなりそうだ。
友達が出来たら嬉しいが、その人が一緒に木馬亭に浪曲を聴きに行くかはわからない。
無事4年間通えますようにと!

棺には詰められるだけ詰める?

2019年04月24日 | 介護
私がもしも死んだら、棺には詰められるだけ詰めてもらい旅立とうかと思う。
無論燃やせない物もあるだろう。
が、燃やせるものは出来るだけ詰めてあの世に行こうと思う。
悔しいじゃあないですか?
この世に残して死ぬなんて!
紙類は燃やせると思うので、はがきなどは棺に入れたいと思う。
大事にしているはがきがある。
それらは詰めたいと思う。
そもそも私のところに届いたはがきなどはひと様にあげるものではないような気がする。
そもそも私の葬式はもう、天王院の坊さんを呼ぶと決めている。
旦那の実家が天王院の檀家なのだ。
旦那の実家のお墓が天王院なのだ。
曹洞宗なのだ。
私の両親の実家も田舎のお寺が曹洞宗なのだ。
それも天王院だったような気がする?
そもそも福井の永平寺なのだ。
坊さんのお経はよくわからぬが、法事や葬式では鈴木家は必ず天王院の坊さんが来るし、何かあれば天王院で法事が行われる。
鈴木家で1軒だけ新興宗教の家があるが、それ以外は天王の坊さんを呼ぶのだ。
私の方の親戚はいろいろな新興宗教の者がいて、葬式はその新興宗教のやり方に乗っ取って行われるので、何度か参列したが、好みの葬式ではなかった。
坊さんが来てお経を読まないのだ。
天理教もエホバも親戚にはいるが、まだ葬式に参列したことが無い。
天理教の従妹はアメリカで亡くなったので参列はしなかった。
エホバのおばさんはまだ生きているので!
他の2つの新興宗教は参列したが、延々と信者がお経を唱えるだけで、退屈をした。
そもそもそのお経を知らない。
私などは昔昔、写経をしたことが何度かあるので、般若心経しかわからないのだ。
それもうろ覚えのいい加減さであるのだから!
私の葬式は坊さんのお経の他に島倉千代子さんCDとクミコさんのCDと浪曲をかけたいと思う。
燃やしてもいいものは棺に詰められるだけ詰めてあの世に持って行くのだ。
ついこの間まで誰かにくれてやろうと思ったが、やはり気持ちは変わるのだ。
棺に詰められるだけ詰めてあの世に持って行くのだ。
そもそも菊の花が好みではない。
棺に菊の花は嫌なのだ。それならいただいたはがきなどを詰められるだけ詰めてあの世に行こうと思うのだ。
隙間があったら菊以外の花がいいのだ。
母は父に供えるのに仏花を買って来るが、仏花は菊の花があるので、私は好みではない。
ただただ母は長持ちするから仏花を買うのだ。
誰にも見せずに大切なはがきは棺に入れるのだ。
私は地獄に行くようなので、せめて大切なはがきだけでも地獄に持参したいと思うのだ。
はがき以外にも燃やせるものは火葬場で燃やしたいと思うのだ。
それには遺言状を作成するべきだ。
公証人役場に公的遺言状を!
その事は以前から主人に話してはいるが、聞く耳を持たない。
会社ではその手の仕事の以来もあるだろうに!生あるものはいつかは死ぬ運命なのだ。
葬式くらいは好きなようにしたいと思う。
が、死人に口無し!
どうなることやら?