ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

六本木のEXシアターでクミコさんのコンサート!

2018年06月30日 | 介護
六本木のEXシアターで行われたクミコさんのコンサートに行って来ました!
終始良かったですね。
ほぼ希望通りの聴きたい歌を歌ってくださり、感激しました。
クミコさんの歌声で私は毎回元気を貰っています。
病気で一番辛いときに出会った歌声です。
あれから度々コンサートやイベントに行くたびに元気を貰っています。
シャンソンはいいですね。
もちろんシャンソン以外もクミコさんが歌うといいですね。
心に響く歌姫ですね。
どの歌も良かったですね。
始から
感動しまくり千恵子でした。
あま、出来ればもう少しシャンソン聴きたかったですね。
一番良かったのはアンコールの後に後ろに写し出されたアニメです。
そのアニメにクミコさんが「最後だとわかっていたなら」の歌を!
これにはさすがの私も号泣しました!
アニメのストーリーとクミコさんの歌声が相まって、そこに自分の人生が重なって号泣!
一番私が病気で辛いときに出会ったクミコさんの歌は本当に心に響きますね。
素敵な歌声に癒され、泣かされ、最後のサイン会に私は短い時間でまくし立てるように話をしました。
のど自慢の葉書が葉書の段階で落選したこと!
日本作詞家協会の作詞大賞新人賞に応募したこと!
春日部の庄和のコンサートに行くこと!
狛江のコンサートに行くこと!
等々を話しました。
それから持っていった絶対食べられないシリーズのおせんべいを賞味期限もあるので4袋ほど渡しました。
本人や事務所のマネージャーや社長さんが食べなくても渡してしまいました。
それからLINEのスタンプの話もしました。
マネージャーのツヅラさんがもしかしたらきちんと審査を通って発売になれば買ってくれるかも?
これで7名は確保しました。
それから思い出したのは私はそこそこに絵心があると言うのを思い出しました。
その昔、入っていた地元の手話サークルと聴覚障害者協会が市民祭りに参加した時に胸から下げるプラカードのような物を制作したことがありました。
その時に描いた絵の見事だってことを思い出しました。
しかし、その画用紙だが何かに描いた絵は遠い昔に捨ててしまいました。
確か、ディズニーとかテレビアニメを描いた記憶が!
それはそれは見事な絵でしたよ!
その絵を思い出したら、私はまんざら絵は下手ではないことを思いました。
きちんと描けばそこそこ上手いのです。LAINのスタンプの絵、もう一度きちんと何とかしようと思います。
誰かの絵の真似は出来るのですから、オリジナルも出来ると思います。
気長にお待ちください!
サイン会最後まで居たので証拠の写真を!
やはりクミコさんの歌はいいですね!
元気を貰えます!

師匠の頼みに嫌だと言えない?

2018年06月30日 | 介護
LAINのスタンプの件、最悪私の下手な絵でも良ければパソコン教室の先生と相談して検討させていただきます!
ただし、師匠には似ていませんね。
以外と似顔絵は下手!
やはり名前は使えないので「電柱軒清月スタンプ」にでもしますかね?
これならあらゆるところからの苦情は無いと思います。
あくまでも私の下手な絵でも良ければの話です。
特徴をとらえて描くことは無理なようなので!
赤い蓋付きの湯飲み、扇子、上半身の顔と着物、テーブルと掛かっている布、全身の着物と袴の姿、等を描いて見たいと思います。
最低8個の絵が必要です。
一応パソコン教室でパソコンで描いてみたらtwitterとFacebookにはアップして反応は見たいと思います。
反応次第では作らないこともあるのでご了承ください。
すぐには無理なので、しばらく気長にお待ちください。
とりあえずショートカットの着物の女性と言うことで!
応募して審査が通れば販売となります。
すぐには無理ですね。

私と言う女遠い記憶

2018年06月29日 | 介護
2018.6.29
この話はフィクションです。
私と言う女は一体何を目指して生きているのか?この頃自分でもわからないでいる。そもそも育った環境にもあるのだと思う。
幼いころから自宅では母が一番のようなところがあった。父と喧嘩をしても母は決して謝りはしなかった。それは今でも感じるのである。「ごめんなさい!」や「すいません!」は言わないのだ。いかなる場合も反省はしない。それはおそらく母の育ちからきているのだと思う。母のその性格を私は時として悲しいと思う。ついこの間まで私は大人げもなく母とやりあっていた。
最終的に私が謝るのだ。いかなる場合も母の意見や考えが自宅では通るのだ。
それをある意味悲しいと思う。そんな風にしか生きてゆけない母を悲しいと思う。私は曲がりなりにも結婚をし、夫婦で病気を持ちながらも、ある意味幸せだと思う。まさに人生は人それぞれなのだ!子供のいない夫婦に残されたことはお互いを労りある意味支え合って生きてゆくしかないのかもしれない。それが私たちに課せられた運命なのだ。

好きすぎて困るのだ!

2018年06月29日 | 介護
2016.6.29
どうも連日のサッカー観戦で夜更かしの身体!
昼間は眠くて仕方がない。
家事を適当にこなしても眠い。
昼寝でもしようかと思うが、うっかり寝たら相当な時間寝てしまうと思うので無理して起きている。
明日は六本木のEXシアターでクミコさんなので、楽しみにしている。
それにつけてもこのところ頭の中は師匠の占める割合の方が多いような気がする。
まあ、師匠は私のドストライクのタイプだったので仕方がないと思う。
明日はクミコさんつながりの友達も来るので聞かれたら師匠の話もしようと思う。
さすがにクミコさんの前では師匠の話は出来ないと思う。
聞かれたら答えるが聞いてこないと思う。
昨日今日のファンの私に師匠のことは語れないと!
名古屋と埼玉は遠いが同じ空の下つながっているのだ。
ましてや離れ小島でもないので名古屋と埼玉は地続きなのだ。
いやあ、半端なく眠いのでクミコさんのラジオが始まるまで寝てしまおうかとも?
8日に六本木で朱夏洋子さんのライブもあるので、楽しみにしている。
彼女の家の庭には無花果の木がるのです。
毎年大量の無花果が取れると言う。
私の家は猫の額の敷地です。
おまけに母が何かを植えてもすべて枯らしてしまう有様です。
無花果は大きな市内のショッピングモールの農産物の直売所でジャム用のを買います。
この無花果のジャムはかなり美味しいです。
もちろんジャムは私の手作りです。
このジャムを楽しみに待っていてくれる人もいる。
きちんと殺菌した瓶に詰めれば日持ちもします。
8月過ぎたら無花果も出回ると思うので!
「それにつけてもなあ、雲月よ!昼間の私は眠いでござる!」
今日のお使いは裏の生協で済ませようと思う。
徒歩3分は寝ないでも行ける距離ですね。
何か作ります。

私と言う女遠い記憶

2018年06月28日 | 介護
この話はフィクションです。
しばらく続きを書いてはいないので登場人物さえも忘れているかも知れませんね?このところ今倉千代子の存在は薄れて行き、クニコ存在さえ危ぶまれている。それは何をかくそうあの五代目電柱軒清月の存在である。
いゃあ!清月は今までとは違うタイプだった。私はまだ清月のことを良く知らないが、明らかにあの今倉千代子ともクニコとも違っていた。芸歴51年目に入りながら、その中にはどこか一般庶民の香りさえしていた。決してファンに対して偉そうな態度もなければ上から目線もなかった。単に自分の芸歴にあぐらをかいているような素振りもなかった。
私が短期間で知る限り、清月は芸に対しては確固たる信念と思いはあると感じられるが、それ以外にはどこか優しく包容力のある女性だと思う。
そのファンの一人一人を包み込むような眼差しや仕草や、態度に私は得も言われぬ思いを感じるのであった。
それは舞台から浴びせられる流し目にさえ感じられた。その瞬間私はどこを見たら良いのかわからなくなるのだ。
客席に注がれる視線におそらく多くのファンは心を奪われ、清月が学んで知り得た知識に尊敬の念さえも持つのである。
不幸を一心に背負ってしまった今倉千代子とはまるで違うのである。ましてやシャンソン歌手と言う肩書きを持ちながら歌謡曲も歌うクニコとも違うのである。クニコは今倉千代子の歌が歌いたかったのだ。
その昔、渋谷のライブハウスで今倉千代子の「菜の花日記」を歌ったらお客さんから「下手くそ❗」とヤジを飛ばされ、いつかは「菜の花日記」をきちんと歌いたいと思っていた。しかし、自分が所属するレコード会社ではきちんとCDにして「菜の花日記」を歌うことは許されなかった。
それから数年し、クニコはレコード会社を今倉千代子の所属の会社に移籍し、改めてアルバムに「菜の花日記」と「愛のささやき」を入れることが出来たのだ。
私はきちんとその2つの歌がアルバムになる前にコンサートで聴いた。その時はかなり下手くそだった。その後レコード会社を移籍したクニコは改めて練習を重ねその2曲をアルバムに入れることになるのであった。
そしてクニコは見事にあの今倉千代子の歌を自分の歌のように歌っているのだ。かなり下手くそだった歌はクニコによって歌われ、今や私はクニコの歌声は素晴らしいとさえ思っているのだ。そこには今倉千代子にはない魅力もあると!
大なり小なり芸能人には歩んできた人生に紆余曲折があるように見受けられる。しかし、五代目電柱軒清月に関してはごく最近ファンになったばかりなので彼女が歩んできた人生を私は知らない。おそらく清月にも何かしらの紆余曲折は有ったと思う。最近ファンになった私にそれを語る資格などはない。それを知らないのだ。全く清月の私生活を知らない。それはそれで良かったと思う。芸能人の多くを知り得ることより少々ミステリアスなところがあっても良いと思う。時には謎に包まれた部分もあれば、それはそれである意味いいのかも知れない。