ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

主人と出掛けた

2023年11月29日 | 日記
このところ母のことで忙しくしていたので、主人のことはほったらかしでした。
私はやることが山積みでしたが、家電量販店にも行きたかったので、息抜きに市内の小さ
なショッピングモールに行きました。
家電量販店でお目当てのものを買い物して、主人が待っている書店に行き、軽くランチをして、夕食の食材を少し買い帰ってきました。
暖房が効いているのかショッピングモールは暑かったです。
食料品のスーパーはクリスマスの品やお正月の品が並んでました。
年末商戦だなと?
本来なら大型のショッピングモールに行きたかったのに、主人が疲れるからと…。
スマホは携帯していたのに万歩計は表示されませんでした。
当てにならないスマホの万歩計です。
さて明日からは本腰を入れて母のことはするつもりです。

夜中に泣いた!湯船で泣いた!

2023年11月29日 | 日記
夜中にお風呂に入った。
湯船で来月特養に入る母のことを思って泣いた。
本当は自宅で最後まで看とるつもりだった。
もはや自宅での介護も無理になり入院させた。
病院はコロナ影響で面会は10分だった。
毎回は無理なので数回行った。
行ったはいいがわずか10分ではたいした会話も出来ずに帰ってきた。
私の名前を間違えたり、妹だと言ったりもした。
自分が産んだ息子の名前も時折忘れていた。
自分が結婚した亭主の名前も時折忘れていた。
亡くなった祖父がまだ生きていると言ったりもした。
会話は時折とんちんかんだったが、以前より痩せた体は車椅子に乗せられても元気そうだった。
幻聴も幻覚もせん妄も薬のおかげで無いようです。
湯船で泣いた!
親孝行をきちんとしなかった自分を責めた。
母には謝りたかった。
たった一人の実母なのに、良く嘘をついて芸能人のコンサートやライブや公演に行った。
行くと言えば怒られるからだ。
子供の頃から私が芸能人を好きなのは心の支えだった。
友達らしい友達もいず、学校ではいじめの対象だった私は芸能人に心の拠り所を求めていたのだ。
あと数日したら母は特養に入るのだ。
最後に詫びたかった。
不甲斐ない娘だったことを詫びたかった。

悲しいな

2023年11月28日 | 日記
母は我が家に着て私たち夫婦と同居してほぼ22年と数か月私たち夫婦がどこかに出かけるか夫婦で食事に行かない限り私の作る食事を食べていた。
たまには手抜きで出来合いのおかずの時もあった。
嫌いなおかずや食べたことのないおかずや炊き込みご飯などは喜ばなかった。
ご飯は白米を好んだ。
ネギが大嫌いですき焼きに長ねぎ1本を入れただけで文句を言われた。
その母が私の作る料理もご飯も食べられなくなり2か月以上が過ぎた。
入院したら病院の食事を食べる。
面会の時に食べ物の差し入れは持ち込めない。
来月入所する特養も同じです。
面会が土曜日か日曜日の5分から10分です。
もちろん食べ物の持ち込みは禁止です。
おそらく最後に私の手料理を食べたのは9月9日の朝食だけだったかも知れません。
母に心のこもった手料理を食べさせてあげることは無理になりました。
すっかり母より料理は出来るようになり、レパートリーも増えました。
時に簡単なお菓子やケーキも作っています。
母の部屋に持って行くと自分が食べる前に父の写真に供えます。
今、私はもう一度母に私の手料理を食べて欲しかったと思います。
入れ歯が合わなくなり、歯医者も行かなくなり、噛めないものも増えてきました。
肉より魚を好むようになり、好きだったマグロの刺身も食べなくなりました。
小食になり痩せていく母がいました。
晩年の母の楽しみは何だったのでしょう?
地元で作った友人が次々亡くなり、疎遠になり、昔からの友人も何人も亡くなりました。
音信不通の他人もいます。
そりゃあ93歳まで生きれば友達の大半はいなくなるはずです。
面会に行ったら93歳の母は自分の年齢を88歳だと言いました。
でも今日は私のことは覚えていました。
弟のことも父のことも覚えていました。
ただ自分の父親、すなわち私から見たら祖父がまだ生きていると思ってました。
あいまいな記憶ととぎれとぎれの記憶があります。
今更ながらたいした親孝行も出来ずに悪い娘だったと…。
子供の頃よく母と手をつなぎ歩きました。
迷子にならないためです。
母の手は暖かかったです。
そこには優しいぬくもりがあったのですね。

後悔なき介護と看とり

2023年11月28日 | 日記
今ごろになって母のことを思う。
出来れば後悔ない介護と、看とりをしたいと?
今さら特養に入所することになったので無理だ。
全てに悔いが残り後悔がつのる。
たいした親孝行も出来なかった。
実母なのに陰では文句ばかり言っていた。
虐待されたわけでもないのに、何でもかんでも反対されて育ったことを恨んでいた。
母親の愛情を履き誓えていたのかも知れない?
間違った道に進まず母親の思い通りの女性になることを母は望んでいたのかも知れない?
実母が幼くして亡くなったので、実母の愛情を知らずに育った母のエゴだったのかも?
幸い私が悪い道に進まずここまでこれたことは良かったと思う。
最後はありがとうと言おう。
最後は思いっきり泣こうと思うのだ。


めちゃくちゃ寒い日

2023年11月27日 | 日記
今日はめちゃくちゃ寒い日ですね。
やることは山積みです。
今日は月曜日なので主人がデイケアに行く日です。
8時半前から玄関の椅子に座り表を覗いています。
何度も覗きます。
迎えのマイクロバスはまだ着ません。
道路の関係か遅れているのかまだ着ません。
9時前にやっとバスが着て主人はデイケアに行きました。
今日は車椅子の女性が一人乗ってました。
主人が嫌がらずに毎回行ってくれることはありがたいですね。
私は母のこともあり、たくさんの書類を読んで書き込まなければばなりません。
おまけに指定された素材の服を指定された枚けそろえなければなりません。
下着も指定された枚数そろえなければなりません。
指定の銀行口座も作って指定された金額も入金しなければなりません。
とにかく母が入所するまでにやることは山積みです。
入所施設が決まったとはいえ、安心している場合ではないのです。
動ける人は私しかいないのです。
しかし入所しても母との面会は土曜日か日曜日と指定され、5分から10分だそうです。
母の残された人生で娘の私に和える時間は限られているのです。
親孝行もろくに出来ずに、母の思うような娘にも育たず、今となっては後悔が残ります。
皆さんはどんな親孝行をしていましたか?
またしていますか?
後悔の無い親孝行をしてくださいね。