ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

なぜ私がkindleで本を出すか

2020年10月31日 | 介護
なぜ私がkindleで本を出すか?
それは自分の好きなことを好きなように書きたかったからに他ならない。
中学生の頃に将来は作家になりたいと夢を抱いていた。
すべての他人を見返すにはものを書くことだと思った。
単に「ペンは剣よりも強し」だったのだ。
少々kindleの電子書籍と言うのが腑に落ちないが、自費出版で大金をつぎ込み、自宅に大量の本を抱え込むよりはいいのだ。
また、出版社に送ってもボツになるなら、所定の書き方に沿って応募して、審査が通れば世に出るkindleの方が良いと思うのだ。
直木賞も芥川賞もほど遠い。
たとえ売れなくても私と言う存在と名前がこの世に残ればいいのだ。
褒められようだとか思ってはいない。
私は私と言う存在がこの世にいたことを残すために、あえてペンネームは使わない。
生きた証を残したかっただけなのだ。
特に書き方を習ったわけではない。
子供の頃の国語の時間さえいい加減い授業を受けていた。
その証拠に漢字は読めても書けない。
本は読む。
子供の頃から本は読んでいた。
なのに読めるのに書けない。
子供の頃から辞書がお友達だった。
辞書はよく引いた。
さすがに手紙を出すのにあまりにもひらがなが多いと恥ずかしいので辞書を引く。
引くが覚えない。
今頃気づいたがこれってもしかして「学習障害」?ではないかと思う。
しかし今まで学習障害と言われた覚えはない。
kindleの利点は所定の書き方に沿って書いて応募し、審査が通ればだれでも無料で出版が出来ると言う点です。
悪いところはカード決済かドコモ決済かau決済でしか本を買って読めないことです。
コンビニ決済も現金でも買えません。
まあ、とりあえず4冊出したので私の名前は全世界に広まったことになります。
1冊当たりの単価が低いうえに利益が少ないのですが、LINEスタンプよりは利益ははるかに良いと思います。
今のところ2年ちょっとで4冊出して2500円ちょっとの利益しかありません。
その昔、近所の知り合いの方のご主人が自費出版で本を2冊出され、奥さんも本の置き場所に困ったのか?
私にくださったことがあった。
さすがに本の代金とまではいかないが、その後、菓子折りを持参しお礼をしたのは言うまでもない。
安価なkindleの本なら気軽にいつでもパソコンやタブレットやスマホのアプリで読めると言うものだ。
重い本を持ち歩かなくてもよい。
今までに書いたのが「私と言う女~遠い記憶~」と「作詞家になれなかった私」と「62歳の詩集」と今度の「無花果の実るころ」である。
本当は認知症の母のことを書きたいが、現在進行形なのでいずれは書くつもりでいる。
この世に自分の名前と存在を何らかの形で残したかった。
その意味では少しでも良かったと思う。
あとは何回応募しても落選する日本作詞家協会の新人賞の受かって私の作詞に曲が付き、プロの歌手が歌い、そのCDがCDショップに並ぶことだ。

疲れている

2020年10月29日 | 介護
疲れている。
精神的にも肉体的にも疲れている。
何をしたわけでもないのに疲れている。
日々の暮らしに、生活に疲れている。
死んだように倒れこんで寝てみたい。
認知症の母の介護と家事と自分のことに疲れている。
自分の時間が日々夜中になるので疲れている。
睡眠不足も手伝って疲れている。
そもそも主婦に休日はないのだ!
食事を手抜きをしたって1日3食は食べるのだ。
気力が無い。
やる気が無い。
襲ってくる睡魔と戦いながら日々を過ごす。
このままでは身体にも心にも良くないことはわかっている。
言い様の無い疲労感とやる気の無さに疲れている。
しかし、私が今、入院する訳にはいかないのだ。
どこかに逃げたしたいが、行くところなどありゃあしない。
我が家に私の代わりはいないのだ。
さあ、前を見て歩こう!
自分に与えられたものを受け止めよう!
それが人生だ。


やっと母にシャワーを浴びせる

2020年10月26日 | 介護
骨折して、退院してきてからと言うもの、母はお風呂に入ることもシャワーを浴びることも嫌がり、それでも何とか私が介助をして2回目のシャワーを浴びる。丁寧にやっているつもりが下手くそと言われ、それでも髪の毛を洗い、身体も洗ってシャワーを浴びる。 中腰の姿勢は腰痛持ちの私には堪えるが、それでも手早く母のシャワーを済ませる。 着替えもさせて、事なきをえる。 介護施設の人は日に何人も入浴介助をするのだから、大変だと身を持って思う。 朝から昼間の体調の悪さも回復して、ガストの宅配の食事も少量食べた。  とうとう私は今日の予定は返上した。 辛い身体を押してまで予定を遂行するつもりはなかったのだ。 明日は母のリハビリの付き添いです。 母の介護やか介助で大変ですが、少しでも心に余裕は持ちたいと思います。

終活断捨離終い支度

2020年10月25日 | 介護
終活断捨離終い支度を考える。
明るく楽しい老後と言うものはどうも無理だということがわかりました。
母の介護に自分たちの老後を思うと、終活や断捨離や終い支度も必要です。
やることは山積みで、尚且つ家事もしなければなりません。
如何にして円滑にそれらをこなすかが課題です。
しかし私が62年のこの年まで生きられたことは、果たして良かったのでしょうか?
本来なら既にこの世に無い命だったのです。
惰性で生きてきた部分もあります。
死ぬことをどこかで恐れ、死ぬ勇気が無いのも事実です。
母をきちんと看取る。
それが今の私のやるべきことだと思われます。
世の中金さえ出せば母を施設に入れることは可能だと思われます。
しかし、施設に入れたら今年はコロナの影響で思うような面会も出来ないと思われます。
その証拠に母の2度にわたる入院は見事にコロナの影響で面会は出来ずに退院しました。
これから年末に向けて私は大掃除は無理でも、せめて破れた障子ぐらいは張り替えて新しい年に向かいたいと思うのです。
着なくなった古い服もコートも処分して、新しいコートやこれから数年着れる服も買い求め、体調管理に注意して過ごしていきたいと思う次第です。
洋服は意外と無頓着で、一度勝った服は数年着てしまうので人様に差し上げるとか、リサイクルショップに持って行くほどの物はありません。
おしゃれに関してもどちらかと言うと無頓着です。
体形が体系なので、サイズが合って好みの柄や色なら着ます。
ところで私のkindleの本ですが。友人に教えたところ、その友人はインターネットをしていないらしく、嫌な思いをしました。
何も買ってくれと言ったのではありません。
kindleのサイトで検索すれば本が本当に出版されていることはわかるのです。
母の介護もしながら少しづづ私の残された人生も考えたいと思う今日この頃です。

人は日々学習あるのみ

2020年10月25日 | 介護
人は日々学習あるのみですね。
最近学んだことです。
62歳にして学んでいます。
衰える脳で学んでいます。
いかに子供の頃に学ばなかったことか!
パソコン一つ満足に使いこなせないので、いまだにパソコン教室に通っています。
スマホも買い替えたら使いこなせない有り様です。
日本語の文字入力が上手くいかずに、Facebookで助けてもらう始末です。
これから益々大変になる介護も学習あるのみですね。
本当にいつまで生きるかわからない人生です。
残された人生を母の介護だけで終わらせたくはないのです。
心に余裕を持って、自分の時間も欲しいのです。
最後には結婚してくれた主人にもお礼は言いたいのです。
そして、私と友達になってくれた人たちにもお礼は言いたいのです。
日々これ精進ですね。
人は向上心を持つことは大切ですね。