ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

誰も好き好んで病気になっちゃあいません!!

2019年04月14日 | 介護
2019.4.14
誰も好き好んで病気になっちゃあいません。
私だって好き好んで更年期にはなりませんし、そこからうつ病にはなりません。
そして不整脈にもなりません。
人の病気はあらゆる病気は好き好んでなるものではありません。
神経性胃炎だって好んでなった病気ではありません。
普段の食事や飲み物でなるとも思えません。
癌になった人も好んで癌を望んではいないのです。
なのに私の母は私の病気を普段の不摂生だと思っているようです。
主人に至っても好き好んで病気になったのではあません。
ここで失礼ながら私が今はまっている浪曲の某師匠も好き好んで病気になったわけではないのですから!
誰も辛い病気を好き好んで選んだりはしないのです。
病気になりたい!なりたいと思ってなる人はいないのです。
病気の辛さというものはえてしてなった本人にしかわからないものです。
人は病気になるとさも自分が一番不幸になったような錯覚に陥るのです。
世の中には自分より辛い病気の人がいることを忘れてはなりません。
癌に至っても自分から望んで癌になった人はいないのです。
一言言います。
私は某師匠の声と芸に惚れたのです。
その後師匠の人柄が付いてきたのです。
今、私は自分の病気のこともあるのですが、母の病気のことも主人の病気のこともありつつ、某師匠のことも心配しています。
赤の他人なのに心配しています。
少しでも良くなり舞台に復帰なされることを希望します。
あの声と師匠の魅力は生が一番だと思います。
一門会までに復帰を希望します。

すっかり体調を崩してしまって!

2019年04月14日 | 介護
2019.4.14
夕方になるにつれすっかり体調を崩してしまった。
病院もやっていないので、薬局に市販の薬を買いに行く。
辛いのだ!
言葉に言い表せないくらい辛いのだ。
またしても同居の母がごちゃごちゃ言って来た。
食欲さえも失せているのに、夕食を食べろと言う。
少々下痢気味のお腹に膨満感もあるので、無理だと思う。
唇に変な違和感を覚えている。
母は私のことを心配していると言っても、普通の家の普通の親の心配とは違うような気がする。
連日のように母が目まいを起こすので、私はそれを心配している。
ほんの数秒目まいがくるらしい?
それも時として頻繁に来るようです。
私の不整脈は心房細動と言われたことがないので、母が言うことは良くわかりません。
それでも今日は目まいが何回か来たと言われれば多少なりとも心配はします。
同居の母は自分が88年も生きてきたことを時として嘆いてもいます。
多少は私に迷惑をかけていると思っている様子です。
こちらとしては産んでくれたし、育ててもくれたので弟も嫁も母を看る気がないなら私が看るのは当然だと!
しかし私に対する育て方は間違ったような気がします。
私とて少し元気で体調が良ければ適当に家事もします。
出来ないながらも家事をします。
なのにその家事に母は文句を言ってきます。
何かにつけて文句を言うのは日常茶飯事なのです。
たけのこが硬くて噛めないのは入れ歯だからなのに、私のたけのこの湯がき方に文句を言い、その後の調理の仕方にも文句は言います。
それはこの間調理した蕗でも同じことを言われました。
私はこういう時は至って基本に忠実に行います。
母の辞書に「ごめんなさい!」や「ありがとう!」は無いに等しいのです。
私の病気も母の病気も主人の病気も拝んで治るのなら拝みもしましょうが、拝んで治るとは思えません。
拝んで治るなら病院も医者も要らないのです。
その昔、家に訪問に来た某新興宗教の人が私が玄関のドアが壊れていると言うと、ドアの上のところに手をかざしてしばらくして直らないとわかると「奥さん!ドライバーはありますか?」と、言われたことがありました。
ドライバーで直るのならとっくに直っています。
その時は速やかに帰っていただきました。
私は輸血をすれば助かるのなら輸血も拒みません。
明日は午前中に母の病院の付き添いをします。
午後は公民館で1時半から学級集会が4時まであります。
この世は本当におかしな世の中ですね。
病人が病人を看るのです。
とりあえず明日は自分の病院に行けそうもないので、市販の薬で少しでも良くなることを願っています。