この21日にぴーちゃんさんと
こりんさんと小生の三人で、山を歩いて来ました。
小生は運転免許証を返納していますので、お二方の車に乗せていただくばかりでした。(お二方には、どうもお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。)
行く先は恵那山の山続きの神坂峠・富士見台です。
ちはやふる神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父がため
読み:(ちはやふる神のみさかにぬさまつりいわふ命はおもちちがため)
意味:峠の神に幣を手向けて身の安全を祈るのは、故郷に待つ、母や父の為である
この地は古くから万葉集などにも歌われているところであり、本当はもっと時間をかけてじっくりと探訪するべき場所のようですが、主目的は山を歩いて、空の際を目指すことですので、詳しい記述は省略しますが、歴史のある床しい地であるということだけを述べるに留めます。
位置図 ↓
富士見峠をカシバードで描画 ↓
赤い線は歩行部分です。
実行図 ↓
出発地点から、周回部分も含めて、反時計回りで歩きました。(赤線は歩行部分)
断面図 ↓
アップダウンの少ないパターンで、往きは登り一方、復路は下り一方のシンプルな山行でした。
朝の望月 ↓
先ずは待ち合わせの場所へ自転車で向かいます。川べりで丸い月が西の空に残っています。
今度は朝陽 ↓
待合せの場所につき、ぴーちゃんさんの車に乗って、移動します。途中で朝日が昇ってきましたが、雲が掛かっています。
今度は長野県平谷村の道の駅で待ち合わせをしているこりんさんと合流し、こりんさんの車に乗り換えて走ります。
ザゼンソウ ↓
途中の峠路でザゼンソウを見ていきます。今年の花は不作のようです。
山地の櫻 ↓
標高は800mを超えているようですが、長野県阿智村地内、園原の里に入ってきました。ここまで来ると道端の櫻すらも風情も奥行きもあると思いました。
はゝき木館 ↓
園原という地名は紫式部の源氏物語で、光源氏の歌の中に歌い込まれていますし、清少納言の枕草子の中でも記述されています。
この園原には大きな桧の「はゝき木」が生えていたそうで、このはゝはき木(帚木)も古今和歌集や後拾遺集、金葉集などに読み込まれています。
実際にあった桧の大木の帚木は残念なことに大正時代に幹が折れ、昭和33年の台風で失われたそうです。
はゝき木館は園原ビジターセンターとして建っています。
ここで通行札を貰って車でさらに奥に進んで行きます。
駒つなぎの櫻 ↓
道のすぐ下に大きな桜の古木があります。エドヒガンだそうですが、樹齢は判りませんでした。
朝早かったので、花が不明瞭ですが、帰りの時間にはより美しく見えていました。
駐車場着 ↓
神坂神社のところで道は終点になります。そこには駐車場があり、山に入っている間、車を置かせてもらいます。
目の前にダンコウバイが咲いていました。
万葉集の歌碑 ↓
神社の参道の横に石碑が立っています。
信濃道は 今の墾り道 刈りばねに 足踏ましなむ 沓はけ我が背
(しなのじは いまのはりみち かりばねに あし ふましなん くつはけわがせ)
意:信濃道は、最近通じたばかりの道だから、鋭い切り株がほうぼうにあります。きっと踏むでしようから、足を痛めないように沓をはいて行って下さい、あなたよ。
神坂神社 ↓
去年の秋口に来ていますので再訪問となります。境内には栃の大木、日本杉の巨木があり、森閑とした気が漂います。
一礼して、神社の左横から歩き出します。
漢詩「渉信濃坂」の石碑 ↓
これは凌雲集という我が国初の勅撰漢詩集に記載されているようですが、一行ごとに見ていきます。
積石千重峻
積石は千重峻しく
岩石は幾重にも積み重なって峻しく
危途九折分
路急うして九折に分かる
危険な山道は屈折して分かれている
人迷邊地雪
人は迷う辺地の雪
旅人は人里を離れた国境の雪に踏み迷い
馬躡半天雲
馬は躡む半天の雲
馬は中空の雲を踏んで行くように見える
岩冷花難笑
岩冷やかに花笑き難く
冷えきった岩間の花は咲きそうになく
溪深景易曛
溪深くして景曛れ易し
深い谷間の日ざしは早く暮れてしまう
郷関何處在
郷関何處にか在る
故郷はどちらの方向にあるのだろうか
客思轉紛々
客思轉紛々
旅人の愁いはつのり千々に乱れてしまう
ということが詠まれているようです。
東ルート入口 ↓
往きは東ルートをとります。
落葉樹の空間 ↓
植林帯の中を歩いたり、画にあるような落葉樹林の明るいところを歩いたりしていきます。
キランソウ属 ↓
キランソウ属の花がこじんまりと咲いて現れました。
エイザンスミレ ↓
今回は全行程通しで、動態視力抜群のぴーちゃんさんが花を探し出してくれました。
小生はもう、小さい花は仮に咲いていても目には留まらず、素通りするようになってしまいました。
こりんさんと小生の三人で、山を歩いて来ました。
小生は運転免許証を返納していますので、お二方の車に乗せていただくばかりでした。(お二方には、どうもお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。)
行く先は恵那山の山続きの神坂峠・富士見台です。
ちはやふる神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父がため
読み:(ちはやふる神のみさかにぬさまつりいわふ命はおもちちがため)
意味:峠の神に幣を手向けて身の安全を祈るのは、故郷に待つ、母や父の為である
この地は古くから万葉集などにも歌われているところであり、本当はもっと時間をかけてじっくりと探訪するべき場所のようですが、主目的は山を歩いて、空の際を目指すことですので、詳しい記述は省略しますが、歴史のある床しい地であるということだけを述べるに留めます。
位置図 ↓
富士見峠をカシバードで描画 ↓
赤い線は歩行部分です。
実行図 ↓
出発地点から、周回部分も含めて、反時計回りで歩きました。(赤線は歩行部分)
断面図 ↓
アップダウンの少ないパターンで、往きは登り一方、復路は下り一方のシンプルな山行でした。
朝の望月 ↓
先ずは待ち合わせの場所へ自転車で向かいます。川べりで丸い月が西の空に残っています。
今度は朝陽 ↓
待合せの場所につき、ぴーちゃんさんの車に乗って、移動します。途中で朝日が昇ってきましたが、雲が掛かっています。
今度は長野県平谷村の道の駅で待ち合わせをしているこりんさんと合流し、こりんさんの車に乗り換えて走ります。
ザゼンソウ ↓
途中の峠路でザゼンソウを見ていきます。今年の花は不作のようです。
山地の櫻 ↓
標高は800mを超えているようですが、長野県阿智村地内、園原の里に入ってきました。ここまで来ると道端の櫻すらも風情も奥行きもあると思いました。
はゝき木館 ↓
園原という地名は紫式部の源氏物語で、光源氏の歌の中に歌い込まれていますし、清少納言の枕草子の中でも記述されています。
この園原には大きな桧の「はゝき木」が生えていたそうで、このはゝはき木(帚木)も古今和歌集や後拾遺集、金葉集などに読み込まれています。
実際にあった桧の大木の帚木は残念なことに大正時代に幹が折れ、昭和33年の台風で失われたそうです。
はゝき木館は園原ビジターセンターとして建っています。
ここで通行札を貰って車でさらに奥に進んで行きます。
駒つなぎの櫻 ↓
道のすぐ下に大きな桜の古木があります。エドヒガンだそうですが、樹齢は判りませんでした。
朝早かったので、花が不明瞭ですが、帰りの時間にはより美しく見えていました。
駐車場着 ↓
神坂神社のところで道は終点になります。そこには駐車場があり、山に入っている間、車を置かせてもらいます。
目の前にダンコウバイが咲いていました。
万葉集の歌碑 ↓
神社の参道の横に石碑が立っています。
信濃道は 今の墾り道 刈りばねに 足踏ましなむ 沓はけ我が背
(しなのじは いまのはりみち かりばねに あし ふましなん くつはけわがせ)
意:信濃道は、最近通じたばかりの道だから、鋭い切り株がほうぼうにあります。きっと踏むでしようから、足を痛めないように沓をはいて行って下さい、あなたよ。
神坂神社 ↓
去年の秋口に来ていますので再訪問となります。境内には栃の大木、日本杉の巨木があり、森閑とした気が漂います。
一礼して、神社の左横から歩き出します。
漢詩「渉信濃坂」の石碑 ↓
これは凌雲集という我が国初の勅撰漢詩集に記載されているようですが、一行ごとに見ていきます。
積石千重峻
積石は千重峻しく
岩石は幾重にも積み重なって峻しく
危途九折分
路急うして九折に分かる
危険な山道は屈折して分かれている
人迷邊地雪
人は迷う辺地の雪
旅人は人里を離れた国境の雪に踏み迷い
馬躡半天雲
馬は躡む半天の雲
馬は中空の雲を踏んで行くように見える
岩冷花難笑
岩冷やかに花笑き難く
冷えきった岩間の花は咲きそうになく
溪深景易曛
溪深くして景曛れ易し
深い谷間の日ざしは早く暮れてしまう
郷関何處在
郷関何處にか在る
故郷はどちらの方向にあるのだろうか
客思轉紛々
客思轉紛々
旅人の愁いはつのり千々に乱れてしまう
ということが詠まれているようです。
東ルート入口 ↓
往きは東ルートをとります。
落葉樹の空間 ↓
植林帯の中を歩いたり、画にあるような落葉樹林の明るいところを歩いたりしていきます。
キランソウ属 ↓
キランソウ属の花がこじんまりと咲いて現れました。
エイザンスミレ ↓
今回は全行程通しで、動態視力抜群のぴーちゃんさんが花を探し出してくれました。
小生はもう、小さい花は仮に咲いていても目には留まらず、素通りするようになってしまいました。