ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

友の死を悼む

2016-12-20 11:16:02 | 草花
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浩ちゃん、君と初めて出会った時のことをはっきりとは覚えてはいませんが、おそらくお互いが小学校の一年生の冬のことではなかったかと思います。
それは昭和25年の12月23日に、私たち家族が引っ越しして、その町にやって来てからあとの、おそらく、年を越えて小学校の冬休み明けの頃からではないかと思っています。

その頃の子供たちは、住んでいる住宅ごとの塊りで遊んでいて、その塊間では、ごくごく緩いライバル関係にあり、互いに相手を牽制しあっていましたね。

そんな関係も小学校の学年が進むにつれて、クラスが同じになったりして、だんだん競争の状態は薄れていき、交流が進んでいきました。
中学生になると、お互いの交流が進んで、もうすっかり融合してしまい、狭い空き地でソフトボール遊びに興じていましたね。

中学を卒業して貴君は就職して上京し、進学した小生とは交流が一時期途絶えましたが、また転職で戻って来た貴君との交流は、つかず離れずの状態ではありましたが、ずっと続いていて、日曜日などには広場でキャッチボールなどもしていたものでした。

貴君の休暇には一緒に山に登ったりもしていましたね。
小生が就職する前の年には、ヒッチハイクをして北海道へ行って、大雪山に登り、山中でヒグマを見たり、阿寒湖、摩周湖、根室の納沙布岬まで行ってしまいましたね。

小生が就職して、中京圏に来てからも、淡い交流はずっと続き、貴君は自営業で成功し、結婚されて、子供さんも立派に育てられました。
母子家庭で苦労して男兄弟二人を育て上げられたお母様との幸せな家族生活を丁寧に作り上げられて、やがて、お母様を幸せな中で天国に送られて、その後も奥様や家族の皆さんとともに立派な家庭人、社会人であり続けました。

この秋に電話した時に、健康を害していることを知り、心配していましたが、その後娘さんと電話で話した時には元気を取り戻したと聞き、少しは安心していました。
11月中にお会いしておきたいとは思っていましたが、行きそびれてしまい、来年の春にでも出かけようかと思っていた矢先に、12月20日(今朝)、奥様から突然の訃報を聞き、驚いてしまいました。

今になって思えば、2013年7月6日に御家を訪問し、妻沼の聖天様の国宝聖天堂を案内していただき、その晩は友達と痛飲し、お宅に泊めていただき、翌7日にお暇したのがお会いできた最後になってしまいましたね。

そのことがつい先日のような気がしていますが、あれからもう3年以上の月日が経っています。
あの時の写真を取り出して今眺めていますが、こんなに早くお別れの時が来るとはとても信じられないほどの元気明朗さでしたね。
今の時代に73歳であの世行きとはちょっとばかり早すぎる気がしています。

浩ちゃん、貴君一人を先に天国に送ってしまい、残念で仕方ありませんが、せめて、高いところから奥様はじめご家族の皆様の幸せを見守り続けてくださいね。
小生はじめ、友達のみんなはおっつけそちらに行くことになりますが、それまで待っていてください。
そちらで皆が揃ったら久しぶりに三角べースのソフトボールでもやりますか、それとも山を歩きますか、麻雀が良いですかね、あるいは昔のように、ホルモンで一杯やりますか、それとも・・・・・

貴君のご冥福を祈ります。 のんびりと待っていてくださいね。

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