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Brugge Style
「女性」の「美」
「日本の男性は女性を見る時、目や胸のサイズなどパーツに関心をよせる人が多いが、米国の男性は女性の全体のバランスや雰囲気に関心を持つ人が多い。」
もうずいぶん前、このような内容の記事に吸い寄せられた。
記事の真偽のほどは別にして、経験から、なるほどそうであるかもしれないと思った。
おフランスでは女性が女性として遇される寿命が長い(その気になれば一生か)と言われ、フランス文化の精粋のようにもてはやされるのは周知の通りだ。
そこで、フランス女性が「一生女」であり続けられるのは、男性が(つまり社会が)女性を全体のバランスや雰囲気で見るからだ、という仮説を立ててみた。
これもわたしの個人的な経験に基づいた発言にすぎないが、フランスを含めたこの辺りの文化においては、生まれつきの顔立ちの美しさよりも、持てるものをいかにプレゼンテーションするかという達成度に対して「美しい」という賛辞を浴びせることの方が一般的だと思う。
そういう風に、全体の雰囲気で女性を見れば、目の大きさ、肌の色、身体のサイズ、年令、などのパーツは重要あまりでなくなってくる。
反対にクローズ・アップされてくるのは、微笑みの美しさ、滲む人間性の深み、こなれた動作、知性、気品、バランス感覚など、全体が醸し出す、加齢と共に磨きあげてゆける魅力であるのは自然な成り行きだろう。
こういう類いの魅力を美の一つの形として賞賛するのが仏文化なので、女性は女性として待遇される寿命が長い(もちろんそのカウンターパートとしてのロリータ文化も根強いわけだが)。
強弁すぎるだろうか(笑)?
これは裏返すと現代の日本女性にあてはまることなのかもしれない。
上記のわたしの駄文が当たらざるとも遠からずとすれば、日本女性は社会の中で美をパーツごとに見られる習慣がついているので、自分自身を観察する時にもパーツごとにしか見られない。
ゆえに全体を鳥瞰する美意識が発達せず、バランス(またはアンバランスとしてのバランス)の美、雰囲気の美、としては中途半端な「おばさんタイプ」「万年子供タイプ」「みんな同じ髪型」がどの世代にも多くなる...
どうだろう。
あ、断っておく。わたしは日本人の一部の女性の美しさは世界最高レベルだと思っている。
フランス女性の美しいのも一部。どの社会にも美しい女というのはいる。
よく女性誌などで、日本人女性はフランス女性を見習うように煽っているが、完全に的外れなお説教だと思う。
まあつまり結局は、われわれが参加しているゲームのルールが社会によって違う、ということなんですけど。
最後に...わが祖母の教え。
外面も内面も美しく努めるのは自分の家の内だけにする。
そして外出時はのびのび自然のままに振る舞う。
つまり外出時に美しくありたいなら普段から身も心も常に美しく生きるしかないのである。
この内容は6年前に書いたものを大幅に加筆修正したものです。
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