河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

大阪ピープルズ・なりこさんを偲んで

2021-02-06 20:36:46 | 歌声喫茶
11.2.26.囚人の歌・大阪ピープルズ


大阪・肥後橋の歌声喫茶ピープルズのオーナーピアニスト、
大北整子(なりこ)さんが、2月5日、80歳で亡くなられました。

私がピープルズに行ったのは3回だけなんですが、
その時に撮った動画になりこさんが写っているので、
なりこさんを偲ぶ意味でそれをアップします。
最初の動画は2011年2月26日。
なりこさんはピアノではなくアコーディオンを演奏されていますね。

カウンター内で手を叩いているのは、尼崎のパワフル佐藤さん。
彼女とは西新宿の歌声喫茶トミでお友達になりました。

13.3.23.りんご娘・大阪ピープルズ


2013年3月23日に、妻のエリカさんと二人で行った時です。
エリカさんの向こう側に居るのは、パワフル佐藤さん。
手前に居るのはミクシー時代に知り合って、
一緒にトミにも行った神戸のコテルさんですね。

18.7.28.フニクリフニクラ(替え歌風)ピープルズ


これが最後のピープルズになりましたが、
2018年7月28日です。
晴ちゃん、おっくん、フクロウさんと一緒でした。

大阪というと、いつも元気いっぱいの植田さん。
「木の付くうえだ」でお馴染みの植田さんは、
ピープルズでも元気いっぱいで司会をされていました。
時々上京されるので、何度か東京でもお会いしていますね。

まだまだ行きたいと思っていたのですが、
なりこさんは、もういらっしゃらないのですね。

どうか安らかに、ご冥福をお祈りいたします。

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登山用具今昔

2021-02-06 14:40:46 | 登山


先日、雪山登山用品に、チェーンスパイクというのが有るのを知りました。
私は登山をしなくなって10年以上経ちましたが、これの存在を全く知りませんでした。
時代と共に道具もどんどん進化しているのですね。



私の時代には軽い雪山登山には、この6本爪アイゼンでした。
でもこうして比べて見ると、進化してるという事がよく解ります。
6本爪だと爪の無い部分はゴムですから滑ります。
しかし、チェーンだと爪の無い部分はチェーンがカバーしてくれるのですね。
こんなので雪道を歩いたら楽しくなりそうに思います。



昔の登山靴には、こういったいわゆる重登山靴というのがありました。
中には靴底に鉄板を入れて、絶対に靴が反り返らない様にしたのもありました。
重いのには片足で4キロにもなる靴もありました。(両足だっけかな?)
私が初めて買ったのは出来合いの軽登山靴でしたが、
間もなく知人に売ってしまい、
次に買ったのは、オーダー靴でした。
もう、頬ずりするくらい、その靴を愛しました。



しかし、現在そんな重い靴を履いている人はまず居ません。
そりゃヒマラヤとか行くんだったら別ですが、
国内だったら、雪山であろうが、それほどの靴でなくても充分なんです。
靴は登山用であろうが軽い方がいいに決まっているんです。
そして今はカラフルで、今の登山者はいいですね。





そして、ニッカズボン。
私が最も愛した登山用具は、圧倒的にニッカズボンでした。
あれを履くと「さぁ山に行くぞ」と身震いするほどの感動がありました。
昨今の登山者が履いている、何か街着と同じスタイルのズボンには、
そんな感動はこれっぽっちも感じませんね。寂しいですね。

ニッカズボンと共に、セットとしてのハイソックス。
その部分だけに山男たちは(おしゃれ)になったものです。
私も自分好みのカッコイイ色のソックスを買うのが楽しかった。



キスリング。これぞ今や時代錯誤の極み。
もう完璧に見なくなりましたが、昔は居ましたね~。
あんな使いづらい物など捨てればいいのに、それが出来ない。
きっと「俺はそんじょそこらの昨日今日の奴らとは違うんだぞ」
と、見せつけていたのかも知れませんが、バ~カでしたね。



今は縦長のザックで脇にファスナーも付いてるし、
ザックに道具を詰め込むにしても楽チンですから、色々悩む必要もないし。
キスリングで悩み抜いていた方々はお気の毒でした。



食事の為に湯を沸かしたり、アルファ米を暖めたりするのに、
私はホェーブスのガソリン式コンロを使っていました。
何より、ガソリンが燃える(ゴーッ)という音が心強く感じて良かった。



ですから、こういった無音のガスのコンロは買いませんでした。
私は全部が単独行でしたから、あの(ゴーッ)の音にどれだけ励まされた事か。



コールマンの灯油コンロを使っている人はかなりいました。
あれも今になってみると、使っている人は心から愛したんだと思います。





8ミリカメラ。
動画を撮る為にはこの、今から思うとこういったカメラしかありませんでした。
そして何より撮影時間がとても少なかったのです。
私はかさ張るフィルム20本を持って北アルプスを撮ったのですが、
撮影時間は1時間程度しかなかったのです。



それが、今ではこんな普通のデジカメで撮れちゃう。
そして画質はいいし、撮影時間は長いし、
なにしろSDカード1枚あれば何時間も撮れるんですからね~。



それどころか、スマホ・・携帯電話で動画が撮れるって、
アンタね~、昔の人達がどれだけ苦労して動画を撮ったと思ってんの!





そして、昔は無かった物にストックがあります。
昔、ストックを使っている人というと、山小屋のボッカさん。
つまり山小屋に食料や生活必需品を運ぶ担ぎ屋さん、だけでしたね。

私はいち早くストックを導入しました。
若干膝を痛めている事もあったし、あれは使った方がいいと見ていたからです。
そして、私はダブルストック派でした。
つまり両手でストックを使うのです。

のちになって入会したハイキングクラブのリーダーさんには、
ストックを嫌う人がいました。
しかし、会員の中にもストックを使う人が増えてくると、
苦し紛れに、使うのでも1本にしなさい。みたいな事を言っている人がいました。
人間の身体は1本で支える(3本足)より2本で支える(4本足)の方がバランスがいいに決まっています。
私は使うなら徹底的に使い込んで自分の身体と一体にすべきだと思っていました。



それにしても、昔はややむさ苦しいイメージだった登山が、
今や(山ガール)などという女性たちはいるし、
服装もカラフルになって、実に羨ましいですね。




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ポンポン蒸気船

2021-02-06 06:03:46 | 船舶
懐かしい!「ぽんぽん船」のエンジン音


ポンポンポンとリズミカルで独特の排気音を轟かせて走る小型船。
それがいつの日にか消えて無くなっていました。
それに気づいたのは無くなってからかなり経ってからだった思います。



私は、あの船の事を(ポンポン蒸気)と、勝手に名付けていました。
私達ではなく、あくまでも個人的な(私)です。
というのは、ポンポン蒸気船の事など友人たちと話した記憶など無いからです。
あんな物は川や海で、当たり前にポンポンと言いながら走っていたからです。
それはまるで空気の様な存在で、誰も気にも留めなかった、そういう感じでした。



中学校への通学路は目黒川にかかる橋を渡って行ったのですが、
その頃はまだ、ポンポン蒸気船がこういった艀(はしけ)を何艘も、
引っ張って行く風景を見ていました。
あれは一体いつから居なくなってしまったのでしょう?


そもそもポンポン蒸気って何なんでしょう?

あれは、「焼き玉エンジン」と言います。
それは知っていました。
で、それはどういった仕組みで動くのでしょうか?



この絵を見て、分かる人はもう全部、分かっちゃったと思います。
赤く丸いのが、焼き玉。
これを熱く熱する事で、ガソリンエンジンなら点火プラグの役目をしています。
左側から送られてきた燃料が焼き玉で熱せられ、爆発。
そのエネルギーはシリンダー内のピストンを押し下げ、
その下にあるクランクを回して回転運動に変えて、スクリューを回すのです。
仕組みとしてはディーゼルエンジンと同じなんですね。

Hot-bulb engine 焼玉エンジンとは(農業用小型発動機)Small Japanese ball 2 cycle engine.


エンジンをかける為には、まず焼き玉を熱します。
その為には焼き玉の上にある蓋を外して焼き玉を取り出します。
焼き玉には取り出しやすくする為に穴が開いているのもありました。

燃料は軽油なんですが、実は重油が使えたのです。
これが凄いメリットでした。
燃料の噴射圧力は低く、シリンダー内圧よりやや高い程度。
焼き玉に噴射するというより、垂らすといった感じでした。

焼き玉は熱をもっており、その熱とシリンダーの内熱により、
気化、発火し燃焼が始まります。
燃焼時の熱の一部で焼き玉は熱せられ、次の燃焼の火種になります。
不純物が混じった粗悪な燃料でも動き、構造が簡単な為に、広く使われました。

小型の焼き玉エンジンでは、焼き玉を取り出して過熱しましたが、
大型になるとそれは出来ないのでバーナーで加熱しました。
過熱にかかる時間は10~15分程度でした。

焼き玉エンジンが画期的だったのは、
それまで使い道のなかった重油が使えた事です。

石油から精製した灯油、軽油、ガソリンなどは、
気化器を使って霧状に出来る為、シリンダー内に供給して着火する事が出来ました。
しかし、それらを精製した残りで出来る重油は、
粘性(粘り気)が高く、気化器で気化する事が難しかったのです。
そこで液体のまま焼き玉に直接噴射して爆発させる方法が考え出されたのです。
重油が安価だった事もあり、焼き玉エンジンは、
ディーゼルエンジンが普及されるまでの間、広く使われました。

焼き玉エンジンは1897年(明治30年)頃から広まりました。
それは長い間、主に小型船の主エンジンとして使われていました。
1919年(大正8年)、
日本初のディーゼルエンジンが船舶用に製造されます。
その運転費用が焼き玉エンジンの70%だった為に、
当時の漁船界に一大センセーションを巻き起こします。
これ以降、ディーゼルエンジンを搭載する船が増えてゆきます。

しかし、燃費は劣るものの、ディーゼルエンジンに比べて本体価格が安く、
取り扱いが容易だった為に、小型船では相変わらず焼き玉エンジンが使われていました。
1923年(昭和8年)に、ヤンマーディーゼルが世界初の小型ディーゼルエンジンを完成させ、
1926年(昭和11年)になると水産庁が小型漁船をディーゼル化する方針を打ち出し、
焼き玉エンジンの命運は、風前の灯火となってしまいます。

だが、第二次世界大戦の勃発が焼き玉エンジンを延命させる事になります。
ディーゼルエンジンの生産ラインは軍用に振り向けられ、
焼き玉エンジンが再び大型漁船にも使われる様になったのです。

戦後になっても日本は物資不足だった為に、
焼き玉小型船は珍重され、1949年(昭和24年)まで増加していました。
しかし、その後はディーゼル船の割合は年々増加し、
1958年(昭和33年)には焼き玉エンジンを追い越し、
1969年(昭和44年)にはディーゼルエンジンが80%に達しました。
翌1970年には焼き玉エンジンの占有率は1%を切り、
2000年(平成12年)を最後に、焼き玉エンジン船は姿を消しました。

もう、あの懐かしいポンポンという音を聞く事はなくなってしまいましたが、
海や川に行くと当たり前に響いていた、あの音は何かほのぼのとしますね。
ぽんぽん蒸気には、そんな話があったのでした。





コメント (2)
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