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山口百恵・還暦

2019-01-22 07:39:17 | 日記
山口百恵 ひと夏の経験


【カラオケ】ひと夏の経験/山口 百恵


上の動画は、どうせ削除されるのでしょうから、
あらかじめ、削除されないだろうカラオケ動画も貼っておきます。

1月17日に、山口百恵が還暦を迎えたそうです。
あのアイドルだった百恵ちゃんが、60歳。
う~ん、時代を感じますね~。



山口百恵

1957年1月17日、東京渋谷生まれ。
幼少時を横浜市・瀬谷区で育ち、
小2から中学生でデビューするまで横須賀で過ごす。

1972年12月、
テレビの人気番組「スター誕生」で準優勝。
レコード会社20社から指名を受ける。
(指名というのは、この人をうちの会社で歌手としてデビューさせたい)
というプロの目から見た将来性を買われるのです。
つまり、貴女は歌手としてスター性があるというお墨付きを貰うのです。

この時、審査員だった、作詞家の阿久悠は、
「貴女は歌手としては向いていない」という意見を述べ、
これは結果的に大誤審であり、
後に阿久悠は山口百恵に謝ったとか。



私はこの時のテレビは観ていませんでしたが、
それから3年後の1975年。
新沼謙治が優勝し、各プロダクションのプラカードが、
一斉に上がった時は観ていました。

あまり魅力の無い人が審査を終え、
祈る様な表情をする中、お情け程度に1、2本のプラカードが
上がる事は何度となく観てきましたが、
各社が狂った様に一斉にプラカードを上げたのは初めて観ました。
そして、プロがその将来性を見抜いたように、
その後の新沼謙治はスター街道をひた走っていったのです。

山口百恵は、翌1973年4月、歌手デビュー。
そして74年「ひと夏の経験」が大ヒット。
この時の百恵はまだ15歳の高校1年生。

15歳の高校生が、初体験を思わせる際どい歌を唄う。
これは、ある種の衝撃でしたね。
ちなみに、私はこの歌が大好きで(メロディーが)
友人達の前で酒場で唄った事もありました。
結構、受けました。

同じく74年、「伊豆の踊子」で三浦友和と共演。
それからは13本の映画の主演をしましたが、
そのうちの12本は三浦友和との共演でした。



また、74年からはテレビの「赤いシリーズ」が始まり、
以後6年間続く事になります。
そこで知り合った俳優の宇津井健を公私共に(お父さん)と慕い、
結婚式の仲人を宇津井健が務めました。

78年「紅白歌合戦」ではトリを務め、
10代の歌手がトリを務めたのは山口百恵が初めてであり、
その記録は現在も破られていないそうです。

79年10月、三浦友和との恋人宣言。
80年3月、婚約発表。



2017年に私達夫婦は大井川鉄道沿線にキャンプに行きましたが、
キャンプ場の近くにあった、この吊り橋。
ここでは山口百恵と三浦友和との熱いシーンが撮影されたそうで、
「百恵ちゃん達は、ここで愛を育んでいたんだな~」っと、
ま、そういった感慨を感じました。



80年10月、日本武道館で引退公演。(21歳)
1970年代に彼女は最もレコードを売り上げた歌手だったそうです。



1980年11月結婚。(21歳)

それ以後、彼女は芸能界との接触を一切絶ちました。
実に潔い生き方ですね。

山口百恵のその後とか、
現在の山口百恵とか・・そういったのは止めにしましょう。
不幸せだったという子供時代から、女性としての幸せの在り方を、
見事に実践した素晴らしい女性でしたね。






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2 コメント

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実は‼️ (だいちゃんです)
2019-01-28 21:53:26
私、百恵ちゃん、昌子、、淳子ちゃん三人と同じ年齢です😆🎵🎵人生初めての還暦です。
本当に百恵ちゃんの生き方、いいですね😃
 残された日々、楽しく 元気に 美しく過ごせたらいいな。
返信する
ばらしちゃったのね (河童)
2019-01-29 07:11:05
百恵ちゃんは、恵まれない子供時代だったという事で、反面教師的な思いがあり、大人になったら暖かい家庭を作りたいという強い思いがあり、その為にはスターである自分を捨てる事に何のためらいもきっと無かったのでしょうね。

私達は(今を楽しく)でやって行きたいですね。
返信する

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