河童の歌声

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野球を知らず

2024-07-12 11:03:31 | 日記
私は、野球をやった経験が全くありません。
子供の頃は品川区荏原という場所に、小学校3年まで住んでいました。
最寄り駅となると、それは目黒区に在る、目蒲線(今は目黒線)洗足駅でした。





そこが自分にとっては普通の生活空間であり、
後になってからその辺は、高級住宅地だった事を知ったのでした。
確かに1軒あたりの敷地面積は広かった気がします。
我が家も80坪(16×16メートル)あったそうです。
身体が小さい時の80坪というのは、かなり広かった気がしますね。

近所の家もだいたいその程度の広さはあったんでしょう。
そして、徒歩2~3分の所にはアメリカ人軍属の家族が多く住んでいました。
彼等の家は日本人宅に比べて更に広かった。
そして彼等の屋敷に至る広い通路や、庭には、
私達日本人が見たこともないオモチャが散乱していました。
それは、例えばお菓子の金平糖みたいな五角形の金属性で、
キラキラと光り輝いている、奇妙な物体だったりしたのです。
それをどうやって遊ぶのかは最後まで知りませんでしたが、
あの眩しいばかりのオモチャの魅力は、まさに悪魔の魅力でした。

あの1ドル360円時代の、戦勝国アメリカ人の子から見れば、
貧しい日本の子供達はビンボーそのものでしたから、バカにもされました。
だから、私は英語の学習を拒否する大人になってしまったのです。
学校の試験でも英語の答案用紙は、白紙で出していたのです。
その復讐で彼等、身体の大きなアメリカ人のガキを、
相撲で足を引っかけ思いっきり投げ飛ばしてやった、ザマーミロ!
でも、フランス人の女の子、ベネ・リックは、本当に可愛かったな~。

で、それで何となく分かるでしょうが、
近所で野球をやってる子供なんか誰も居なかったんです。
空き地があっても、そこで野球をやってるなんて見た事も無かったんです。
じゃ何をやって遊んでたか?

隠れんぼ、鬼ごっこ、相撲、ビー玉、ベーゴマ、メンコ。
女の子は縄飛びとか、ゴム飛びなんかしてた様な・・
私は特に隠れんぼが大好きだった。
なんせ、小学校6年の時、皆の趣味はと授業中に順番に先生から訊かれ、
出席番号いつも1番だった私から始まって、
私は(趣味)の意味を知らずに隣の女の子に「趣味ってなんだ?」
「自分の好きな事よ」・・「ハイ、趣味は隠れんぼです」と答えて、
教室中が大爆笑だった。
バッカヤロー、自分が好きな事って言ったじゃんかッ!
鏡を見た訳じゃないけど、多分マッカッカだった。

ま、そ~ゆ~訳で、現在、野球オンチの私が育ったのでした。
ひとつ残念なのは、わたし達の幼友達の兄さんに一人の年長者がいました。
その頃、私より5才以上年上だった中学生男子でした。
彼はいつも鼻くそをほじっては口の中でくちゃくちゃ噛んでいて、
挙句の果ては、散々噛み込んだ鼻くそ団子を食べちゃう癖があったのです。

その男が、彼の家の部屋で(お医者さんごっこ)をやったらしいんです。
それを後から、多分私の姉から聞いた私は、
そこに何で俺が居なかったんだと、地団太踏んで、内心くやしかった。
(そんな気持ちは誰にも言える筈もないけど、無念だった)
しかしその話は近所では何となく秘密で葬られてしまった感があったのです。
のちのちに、そいつは母親からこっぴどく怒られたという噂を聞いた。

ま、隠れんぼだったり、お医者さんごっこの秘密話だったり、
そうだ缶蹴りはよくやったな。
そういった多忙な子供時代だったので、野球までは手が回らなかったね。
野球で分らない事は、ソフトボール投手だった妻に訊けばいいか。
あまり当てにできない、出来損ない投手だけど、ま、いいか~。



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