【プロレス】キラーカーン”月給2400万円”の9割は会社が搾取!?ブチ切れた理由を告白!
キラー・カーンは一時期のプロレス界に有名だったプロレスラーです。
カーンという名前は、あのプロレスの神様と言われた、
カールゴッチが名付けたらしいのですが、
カーンはジンギスカンから摂ったとか。
この名前は、名付けられた本人もとても気に入っていたと言ってます。
キラーカーンは蒙古人を売りにしていますが、
本人は蒙古人などではない、れっきとした新潟出身の日本人です。
プロレスという世界は、たんなる普通のレスラーとして客を呼ぶ事は中々難しいのです。
それで、他のレスラーとは違った(看板)を持つ事はよくある事です。
例えば「グレート歌舞伎」
彼は身長もない平凡なレスラーでした。
そこで歌舞伎という日本古来の姿(?)を売りにしたら、これが受けたのです。
受けない事には客を呼べず、試合のお声もかからないので、商売になりません。
例えば「タイガーマスク」
本名の佐山聡でレスラーをやってたら、身の軽いレスラー程度で終わっていたでしょう。
しかし、漫画の主人公が生きて客の前に登場したのですから、
これはバカ受けして、大スターとなったのです。
レスラーというのは職業としての商売ですから、
平凡ではダメなのです、売り・看板が必要なのです。
それで、キラーカーンとなったのですね。

キラーカーンの本名は、小澤正志。
1947年3月6日。新潟県燕市出身。
身長195センチ・体重140キロ。
大きな身体を見込まれて16歳で大相撲に入門します。
入門当時の身長は186センチ・体重は90キロのか細い身体でした。
その後も体重はあまり増えず、
1970年5月に相撲に見切りをつけて廃業(23歳)
1971年1月に日本プロレスに入門。
アメリカや海外を経験し、力をつけてゆきました。
1979年3月から、いよいよキラーカーンを名乗る様になりました。

モンゴリアンチョップ。
奇声を発しながら両手を使ってのチョップは大受けしましたね。
キラーカーン全盛期のカッコイイ時でした。

1981年に、あの大巨人、アンドレザ・ジャイアントの足を骨折させます。
これはプロレス界では一大事件でした。
しかし、これは事故であり、後日キラーカーンはアンドレに謝罪に行ったら、
アンドレは何事も無かった様に許してくれて、
更に、これを俺達の遺恨試合にすれば、絶対に受けるよとまで言ってくれたそうで、
キラーカーンはアンドレを大好きになり、
アンドレが急死した時は「あんないい奴が」と号泣したそうです。

1985年、長州力らが設立したジャパンプロレスに参画。
しかし翌1986年5月ジャパンプロレスに造反。
1987年11月に、まだ40歳の若さ、全盛期に突然・プロレス界を引退しました。
40歳と言えば、寿命の長いプロレスラーの世界では、まだ盛りです。
全盛期と言ってもいいと思います。
それがいきなり何で?
人間関係がイヤになったそうですね。
特に長州力、こいつだけは絶対に許せないと、
包丁を持って殺しに行きそうになったとか・・・
ある日突然の引退に、奥さんは動転して泣き喚いたと聞きます。
だって子供は3人で、下はまだ小さい子だったし。
奥さんは、よく知らないのですが、
たまたま行った店でカウンターの隣にいた女性だったらしいのですが、
多分アメリカ人だと思います。
引退して生活に困り日本に帰国してから、
3人の子供と奥さんには一度も会った事がないらしいのです。
引退後は知人からの紹介で飲食業を始める様になり、
何軒かの紆余曲折を経て、現在は新宿・百人町で、
居酒屋カンちゃんを経営しています。
2014年、雪で滑って転倒した弾みで頸椎損傷。
99%車椅子と言われ、一時は自殺も思ったのですが、
本人の必死の頑張りで、後遺症はあるものの、店に立てる様に回復しました。
キラーカーンの動画を観ると、
この人、小澤正志は人間性のいい人で優しさを感じます。
そういった優しさ純粋さがあったからこそ、プロレス界に人間関係がイヤになったのでしょうね。
彼の顔を見ると、やはりそういった優しさを感じます。
長州力・・なるほどね。
人間は顔を見ればある程度の判断はつきます。
以前のブログに書いたのですが、
小柄なレスラーでもあり、レフリーでもあった、
あの山本小鉄が言ってました。
「体の大きいレスラーなど怖くはない。
怖いのは体が小さくても、本気で殺しにかかって来る奴だ」
キラーカーンは山本小鉄に言わせると、怖いレスラーではないんでしょうね。
あいつは身体はデカイが、心が優しすぎる。
キラー・カーンは一時期のプロレス界に有名だったプロレスラーです。
カーンという名前は、あのプロレスの神様と言われた、
カールゴッチが名付けたらしいのですが、
カーンはジンギスカンから摂ったとか。
この名前は、名付けられた本人もとても気に入っていたと言ってます。
キラーカーンは蒙古人を売りにしていますが、
本人は蒙古人などではない、れっきとした新潟出身の日本人です。
プロレスという世界は、たんなる普通のレスラーとして客を呼ぶ事は中々難しいのです。
それで、他のレスラーとは違った(看板)を持つ事はよくある事です。
例えば「グレート歌舞伎」
彼は身長もない平凡なレスラーでした。
そこで歌舞伎という日本古来の姿(?)を売りにしたら、これが受けたのです。
受けない事には客を呼べず、試合のお声もかからないので、商売になりません。
例えば「タイガーマスク」
本名の佐山聡でレスラーをやってたら、身の軽いレスラー程度で終わっていたでしょう。
しかし、漫画の主人公が生きて客の前に登場したのですから、
これはバカ受けして、大スターとなったのです。
レスラーというのは職業としての商売ですから、
平凡ではダメなのです、売り・看板が必要なのです。
それで、キラーカーンとなったのですね。

キラーカーンの本名は、小澤正志。
1947年3月6日。新潟県燕市出身。
身長195センチ・体重140キロ。
大きな身体を見込まれて16歳で大相撲に入門します。
入門当時の身長は186センチ・体重は90キロのか細い身体でした。
その後も体重はあまり増えず、
1970年5月に相撲に見切りをつけて廃業(23歳)
1971年1月に日本プロレスに入門。
アメリカや海外を経験し、力をつけてゆきました。
1979年3月から、いよいよキラーカーンを名乗る様になりました。

モンゴリアンチョップ。
奇声を発しながら両手を使ってのチョップは大受けしましたね。
キラーカーン全盛期のカッコイイ時でした。

1981年に、あの大巨人、アンドレザ・ジャイアントの足を骨折させます。
これはプロレス界では一大事件でした。
しかし、これは事故であり、後日キラーカーンはアンドレに謝罪に行ったら、
アンドレは何事も無かった様に許してくれて、
更に、これを俺達の遺恨試合にすれば、絶対に受けるよとまで言ってくれたそうで、
キラーカーンはアンドレを大好きになり、
アンドレが急死した時は「あんないい奴が」と号泣したそうです。

1985年、長州力らが設立したジャパンプロレスに参画。
しかし翌1986年5月ジャパンプロレスに造反。
1987年11月に、まだ40歳の若さ、全盛期に突然・プロレス界を引退しました。
40歳と言えば、寿命の長いプロレスラーの世界では、まだ盛りです。
全盛期と言ってもいいと思います。
それがいきなり何で?
人間関係がイヤになったそうですね。
特に長州力、こいつだけは絶対に許せないと、
包丁を持って殺しに行きそうになったとか・・・
ある日突然の引退に、奥さんは動転して泣き喚いたと聞きます。
だって子供は3人で、下はまだ小さい子だったし。
奥さんは、よく知らないのですが、
たまたま行った店でカウンターの隣にいた女性だったらしいのですが、
多分アメリカ人だと思います。
引退して生活に困り日本に帰国してから、
3人の子供と奥さんには一度も会った事がないらしいのです。
引退後は知人からの紹介で飲食業を始める様になり、
何軒かの紆余曲折を経て、現在は新宿・百人町で、
居酒屋カンちゃんを経営しています。
2014年、雪で滑って転倒した弾みで頸椎損傷。
99%車椅子と言われ、一時は自殺も思ったのですが、
本人の必死の頑張りで、後遺症はあるものの、店に立てる様に回復しました。
キラーカーンの動画を観ると、
この人、小澤正志は人間性のいい人で優しさを感じます。
そういった優しさ純粋さがあったからこそ、プロレス界に人間関係がイヤになったのでしょうね。
彼の顔を見ると、やはりそういった優しさを感じます。
長州力・・なるほどね。
人間は顔を見ればある程度の判断はつきます。
以前のブログに書いたのですが、
小柄なレスラーでもあり、レフリーでもあった、
あの山本小鉄が言ってました。
「体の大きいレスラーなど怖くはない。
怖いのは体が小さくても、本気で殺しにかかって来る奴だ」
キラーカーンは山本小鉄に言わせると、怖いレスラーではないんでしょうね。
あいつは身体はデカイが、心が優しすぎる。
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