1912年、史上最大の船舶沈没ドラマが生まれました。
タイタニック号の遭難です。
世界最大の豪華客船の沈没。
(実は世界一の豪華客船とも言えない)
救命ボートの不足により、1500名の命が失われてしまった。
確かに今でも語り続けられる要因は多かった。
世界一の豪華客船、処女航海、多くの有名人が乗っていた、
絶対に沈まない設計だった、最後まで演奏を続けた楽団員たちの美しい姿。
それらは「タイタニックを美化するドラマ」であった事は間違いない。
そういったドラマ故に、今でも失われたタイタニックを追い求める、
例えば海底に沈むタイタニックを見に小型潜水艦で行ったり、
そういった類の話に事欠かないのです。
何ゆえにタイタニックドラマは何時までも終わらないのでしょうか?
私としては「もういいよ、そんなに美化しなくていいよ」
という思いを強く感じるのです。
ドイツの客船、グストロフ号。
敗戦の色濃いドイツは、北欧からドイツ本国へと向かうバルト海へ向かった。
必死の思いで逃げるドイツ一般人を詰め込めるだけ詰め込んだグストロフ号。
それを今までドイツ軍にいじめられてきたソ連は見逃さなかった。
ソ連の潜水艦は、それまでの積年の復讐を込めてグストロフ号に魚雷を叩きこんだ。
それは史上最大の9043人という人達を皆殺しにした。
同じ頃、同じ理由で、ゴヤ号6666人。
シュトイベン号3150人の一般ドイツ人が、ソ連の陰湿な復讐の犠牲になった。
それらは、タイタニックの様な、ある意味美しいドラマを生む時間もなく、
アッという間に沈められてしまった。
この3隻の犠牲者は約19000人。それはタイタニック号の12倍なのです。
1915年、アメリカ、ミシガン湖。
多くの観光客はイーストランド号の片側だけに乗り込んで、
多くの人達の目の前で横倒しになり、1810名が亡くなった。
1987年、フィリピン。
日本から買い込んだ船を改造したドニャパス号は、
クリスマス休暇で故郷に帰る人達を満載していた。
船内は立錐の余地も無い人と荷物で身動きも出来ない状態だった。
深夜にドニャパス号は、ガソリンを満載した小型貨物船と衝突。
二つの船は引火したガソリンで吹き飛んでしまった。
両船の乗組員は全滅、乗客も、数人が吹き飛ばされて生き残った他は、
全員(4400人くらい)が全滅してしまった。
そこにはタイタニックの様なドラマなど生まれる時間は無かった。
一瞬で火だるまになるという悲劇的な死だった。
そういった沈没に比べると、
確かにタイタニック号の最期はドラマチックだった。
面白いのは、それを予感させる、ある一冊の本があったのです。
タイタニック号沈没は1912年。
それより14年前の1898年。
アメリカ人の下級船員、モルガン・ロバートソンという男が、
一冊の本を書いていたのです。
その内容は、ある船の沈没事件を描いた本でした。
しかし、その内容があまりにもタイタニック号沈没を予感した内容だったのです。
世界最大の豪華客船、処女航海、出発港と目的港が同じ、多くの有名人が乗っていた。
船は氷山に衝突した、船の全長、大きさがタイタニック号とほぼ同じだった。
そして救命ボートが不足していて、亡くなった人の数が同じだった。
極めつけは船の名前はTAITAN(タイタン)
その後ろにICを付けると、何とタイタニックだったのです。
まるで鳥肌が立つほど小説は、事実と同じだったのです。
日本でも1954年の洞爺丸事件、1155名死亡。
1945年の緑十字船(赤十字船に次ぐ安全を保障された船)
阿波丸事件、2100名死亡。
阿波丸と同じ類の対馬丸事件、1418名死亡。
富山丸3695名死亡、摩耶山丸事件3437名死亡。
そういった名も無い悲劇があるのです。
タイタニックばかりが(悲劇)などではありません。
ただ、阿波丸や対馬丸といった多くの避難民をターゲットにされた、
船を美化する風潮があるのは、あまり支持できないのです。
それはそれとして、いつまでもタイタニックと大騒ぎするのは、
もういいよ、もう辞めたいと思うのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます