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アントニオ猪木、死す!

2022-10-01 12:41:33 | 格闘技




アントニオ猪木が死んでしまった。

私が大好きだったプロレスラー、アントニオ猪木。
昔から格闘技は好きだったのですが、
その格闘技の頂点にあるのがプロレスだと私は信じています。
そしてプロレスが大好きになった原因に、アントニオ猪木の存在がありました。
その猪木が遂に逝ってしまった。



元プロレスラーでありレフリーも務め、数多くのレスラーを育てた、
小兵レスラーだった山本小鉄氏がこう言ってました。
「でかい奴など怖くない。本当に恐いのは小さくても本気で殺しにかかって来る奴だ」
それが猪木なのです。
猪木の眼は絶えず相手を本気で殺しにかかって来る恐い男の眼でした。
身体が大きくても、強くても、本気で殺し屋になれないレスラーはいっぱい居ます。
猪木はギブアップしないレスラーの腕をへし折った事もあります。
大怪我を負わせレスラー人生を終わりにしてしまった選手も居ます。
だから猪木は恐いし、そこがまた魅力なのです。

以前、私のブログに「アントニオ猪木の身長にビックリ」でも書いたのですが、
全盛期には190センチあった身長は、
本人いわく「まだ182センチはあると思いますが」を最後に、
縮み続け、恐らく180センチも無かったと思われます。
マスコミに囲まれインタビューを受ける猪木より背の高いのが何人も居るのですから、
それを観ると本当に悲しくなりました。
あの偉大だった猪木がと・・悲しかった。



そして最近の動画を観ると・・・
「あゝもう猪木も永くはないな」と思わざるを得ませんでした。
そして、遂にその日が来てしまったのでした。


アントニオ猪木(本名・猪木寛至)は1943年(昭和18年)横浜・鶴見に生まれました。
父親は彼が5歳の時に亡くなりました。
鶴見の寺尾中学へ入学しましたが、13歳の時に、母親・祖父・兄弟とブラジルへ移住しました。
幼少時代は運動神経が鈍く、ドン寛(鈍感)などと呼ばれていましたが、
ブラジル移住後は陸上競技の選手として現地の大会に出場し、
砲丸投げで優勝するなど活躍していました。



その際に(1960年4月)ブラジル遠征中の力道山の目に留まり、スカウトされます。
力道山から日本に連れて来られた猪木は練習し、
1960年9月に、ジャイアント馬場と同日にプロレス、デビューをしました。
相手は、大木金太郎で敗戦でした。
その後、豊登から「アントニオ猪木」と命名されます。

デビュー当時は力道山から徹底的にイジメ抜かれ、
それはイジメと全く無縁だったジャイアント馬場と正反対でした。
1963年12月。その力道山はヤクザに刺され死去しました。
1964年、アメリカに武者修行に行きます。
アメリカではアメリカ人女性と結婚し、一児をもうけますが、その子も後に死去したみたいです。
1966年、アメリカ修行を終え、帰国しました。

一時は馬場とタッグを組んで(BI砲)として活躍しましたが、
日本プロレスや馬場との確執から退団したり、様々な紆余曲折を経験します。



プロレスこそ全ての格闘技の頂点であるという、ストロングスタイルを標榜し、
そして(異種格闘技世界一決定戦)などで人気を博します。
全24戦を戦い、20勝1敗、3分の戦績でしたが、
唯一敗戦を喫した、ショータ・チョチョシビリには、
翌月再試合をして勝利し、挽回を果たしています。

1989年には政界に立候補して当選し、議員さんとなりました。
1990年には湾岸戦争のイラクから邦人を解放するという活躍。
2013年には独自で北朝鮮を訪問するなどのパフォーマンスと受け取られる、
行為で世間から様々な批判的な目で見られたりしましたが、
私は政治的な事はよく分かりませんが、
何をやっているのか分からなく、国会で居眠りしている議員よりはマシだと思いました。

プロレス選手としての戦績は、
シングル戦   612勝、41負、50分。
タッグ戦   1466勝、104敗、130分だそうですから、
やはり、かなり強いレスラーであった事は疑いもありませんね。

猪木の得意技、決め技にはいくつかありますが、



卍(まんじ)固め。



コブラツイスト。



延髄斬りなどが著名でしょうか。

また、アントニオ猪木というと、
様々な会社を立ち上げ、実業家としてあくなき野心家でもあったのですが、
その事業の大半は失敗し、成功したものは殆ど無いそうです。
芸能人などでも、そういった事業で手痛い火傷を負う人は多いのですが、
やはり猪木は、プロレスラー猪木のままで良かったんだと思います。
プロレスラーとして、猪木は偉大だったのですから、それで良かったんだと思います。

誰々が逝って、ひとつの時代が終わったなどと言われますが、
本当に私にとってひとつの時代が終わってしまいました。
それは、とっても偉大な時代でした。

アントニオ猪木さん、本当にありがとう。
もう、戦わなくてもいいんですよ、安らかにお休みください。
ありがとう、さようなら・・・



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