久留百合子の生活者視点

仕事、旅行、日常のちょっとしたことから得た情報、生活者として感じたことなどを綴ってみます。

震災1年目に思うこと

2012-03-13 13:47:16 | Weblog
 一昨日、東北大震災から1年、その1週間ぐらい前から新聞もTVも特集が組まれ、それらを見るにつけてもいろいろ考えさせられる今日この頃です。
 今でも家に戻れない、これから先のことも見えないたくさんの東北の人のことを思うと、こんなに普通の生活をしていていいのだろうか、いや、私たちが普通にしてがんばって、大げさにいうと日本経済を支えていかなくてはいけないのだ、と思ったり・・・

 築30年近くになる我が家は先週木曜から風呂場と座敷の改装のため、そこにあった荷物が全部、リビングや2階の廊下に所狭しと山積みにされています。お風呂も1週間以上入れないので、実家に入りに行ったりそれは不便な生活をしています。
 工事は10日ぐらいで終わりますが、被災地の方々は1年、これからもいつまでか分からないという生活、私なんかのちょっとした不便では想像もつきませんが、少しですが思いは寄せられるような気がします。

 実は、今回のことで、実家のお風呂に入りに行くついでに、母と話す機会が多くありました。私の母は84才。昨年父が亡くなって一人で暮らしています。耳は少し遠いのですが、すこぶる元気。話すことがパッパと分かるというのは無理ですが、ゆっくり噛み砕いて話したり、説明するとちゃんと理解して、いろいろな手続きなども自分で出かけて行って出来ます。
 私もいずれは来る道なので、母を含めいろいろな先輩たちを見ていて、どうすれば自分にも周りにもいい生き方ができるのか、充実して終わりを迎えられるのか、最近よく考えます。

 母を見ていると、今も元気でボケないでいられるのは、まずは、友だちがたくさんいること。その友達が皆、長い付き合いの友達なのです。刺繍の仲間、自彊術の仲間、○○の仲間、というように、いくつもグループに所属しているのです。それは、母の人柄というか、楽天的で、出過ぎ引っ込まずの性格というか、友達ともめたという話を聞いたことがありませんから。
 母の年代でこのように友達とたくさん付き合えるというのは、考えてみれば、父が良かったからではないか、と思い至ったのです。もし、父が昔ながらのやかましい人で、女は外に出るなとか、友達と旅行なんかに行くな、とか言う夫だったら、母はこんなにのびやかにいろいろなおけいこ事を続けたり、友達関係も継続できなかったでしょう。
 私たち子供も母が今のところ、こんなに元気で楽しそうに生活してくれるのは本当に嬉しいことです。そして、安心して仕事も自分の家庭の事も出来ます。

 夫婦の関係ってやはりお互いに自立していなくてはいけないなーと思います。妻が残る確率が高いですので、女性は経済的自立を、そして、男性は生活の自立ができていなければと思います。そのためには若い時から、お互いにそれを妨げない、それ以上にそれを促すような関係でなくては、というのが私の考えです。
 昔の人は時代もあって難しかったと思いますが、これからの人は、いっしょに家庭を運営していくのですが、お互いに自立した関係、それを認め合う関係でなくてはいけないと思います。夫の経済力だけに頼った生き方だとか、妻に家庭のこと、子育てはまかせっきりというのはどんなものでしょうか

 震災から1年、孤独死をされたという悲しいニュースもありましたが、前向きに一歩踏み出してこられた方々もたくさんいらっしいます。人間は、ぽっと60才や70才になるのではなく、毎日の積み重ね。日々をどう積み重ねて生きてきたかが、晩年や不慮の事故の時に生き方としてでてくるような気がします。毎日しっかり、そして、いい人間関係を積み上げながら生きていかなくてはいけないなーと思った今日この頃でした