私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

如何に少ない軍で戦をするか

2007-09-15 08:38:25 | Weblog
 もうちょっとの間、このブログでも、政治の世界に足を突っ込まずにはいられません。お付き合いください。
 昨日まで「麻生」という字が新聞の紙面を大きく飛び交っていたのですが、今朝になると、どうでしょう、一転して「福田」の名が、大いに胸を張ったように目に付きます。
 本当に一寸先は闇ですね。どうしてでしょうね。もしかして、「ブンヤ」さんの推察力のなさかなとも思ったりのするのですが、それだけ激流で、先を読む余裕がないのかしらとも思います。それにしても本当に闇ですね。
 選挙の前から、既に、結果が決まっているということは、不思議なことではないでしょうか。誠に変な選挙ですが、こうなると『判官びいき』ではないのですが、「麻生さんがんばれ」という気にもなります。昨日までは、安倍さんの責任の一端は、この麻生さんにもあり、総理になるのは、彼の口癖の「いかがなものでしょうか」と思っていたのですが、今朝の心境の変化に我ながら驚いています。不思議な心理現象です。
 麻生さんが、少ない軍で如何に戦って、勝利を導く事が出来るか。橋は既に敵によって壊されてしまっているのですから。戦術は如何に。0戦もないのに?雉はいないか、鳩では戦にならないのでは?

 さて、我;先生の「詞シリーズ」です。一寸変更して、今日は『はやる』を取り上げます。
 この「はやる」という詞は、「はやし」と「はたらき」からなり、もともとは、早くしたいという心の働きですが、今は、『いきほひにのり、拍子にのりてすすむこころにいふ詞なり』と書いてあります。
 その例として、大鏡の『みな人しろしめたらめど、ものを申しはやりぬればさぞ侍る』(人々は、そのことについて、みんな心のうちではよく分っている事なのですが、言う人が、ことさら声高々に、やんややんやと囃し立て煽るので、皆が一気にその気になってしまった)等を上げられております。

 私事(ひとりごと);
 どうも、高尚先生の洞察力には恐れいります。200年も先のことをちゃんと予測したような書き振りです。
 それにしても、雪崩打つように、一気に「はやる」なんて不思議な人の世界ですね。
 
 さて、結果はどうなるでしょうか、なにしろ、一寸先や闇の世界の事なのですから。
 
 また、くだらない歌一首;
   
     政治舟 はやりの波に 浮びけむ
          着くべう岸は 霞なりなむ

かなし

2007-09-14 13:36:19 | Weblog
 昨日取り上げた「うたて」と共に、高尚先生が『松の落葉』の中で説明している言葉を順を追って読んでみます。
 今日は、「かなし」について;
 『かなしとは身にしみておもうことにひろくいへる詞なり。悲歎の意をいう』
 とあり、古今集や伊勢物語の中から、例と取り出して、身にしみておもうこころについて解き明かしています。
 
 
 私事(ひとりごと);
 「悲歎」とは、辞書には、「ショックを感じる大変な出来事にあって、身の不幸を大いに悲しむこと」だと、あります。
 今朝の新聞でも、内外の関係者が口を揃えて、安倍さんの演じた辞任劇を「お坊ちゃまだ」とか、やれ「無責任だ」とかの批判がしきりだと、報じています。
 安倍さんの心の内は、今、「かなし」で、一杯になってているのでしょうか。それとも、いまだに「いでや」のこころを持ち続けておられるのでしょうか。
 
    姿だに 見せで入りたる 病院の
              かた床にねん 君ぞかなしき


 今日も、昨日に引き続いて駄作の一首を、このブログで安倍さんに送りたい心境になっています。可愛そうに、今、四面楚歌だものね。

 「いでや」については、明日に。乞う;ご期待。

電撃的退陣とうたて

2007-09-13 12:31:07 | Weblog
 今朝の新聞は、二段抜きで、安倍総理の辞任を報じています。安倍内閣の功罪についても、その論評が、3、4ページに渡って書きなぐられております。どれもこれも、「総理の無能さと無責任」について、取り上げています。一寸、かわいそうにという思いも湧いてきそうです。
 
 さて、我;先生は、日本古来の言葉についてもよく研究されておられます。
 この『松の落葉』の中にも、「かなし」「はやる」「かひかひし」「いでや」、『うたて』と、いう言葉の心を説明しておられます。
 
 その中、この『うたて』という言葉は、
 「自分が、いま、やっていることを色々考えてみると、あまりいい方向には進んでいない。自分一人、心の中であれこれと考えているうちに、益々悪い方向にばかり、どうもどんどんと進んでいっているらしいと思う心」
だ、と、あります。
 まてよ、これって、近頃の安倍さんの心ではないかという思いが横切ります。
 
 
  我心 うたてになりて 思い遣る 
               たづきも知らに うつろなりけり」
 
 
 と、詠み、小沢さんがどうの、国際公約がどうのと言わないで、これだけを安倍さんの辞任の弁にしていたらどうだろう。
 益々説明不足だといわれそうですか?。でも、どちらにしても説明不足は否めないのですから、これの方か賢いやり方ではないでしょうか。
 「以上終わり」
 と、言うと、一瞬、世間や政治評論家は目をぱちくりとさせて、開いた口を塞いで、今朝の朝刊みたいな悪評はなくなったのではないでしょうか。
 
 こんなことをすると、きっと昨日以上に国民は驚くこと間違いありません。それも一興、どうせ辞めるのですから、こんな変ったやり方で驚かしても、どうせ憲政始まって以来の珍事だといわれるのでしたら、この方法が面白かったのに?。
 でも、安倍さんまじめだからなー。

 と、こんなくだらない歌を作って、ひそかに一人でほくそえんでおります。

よその国よりまず日本を

2007-09-12 13:10:45 | Weblog
 「松の落葉」によりますと、先生がいかに沢山の日本や中国の書物を読んでいたかよく分ります。
 戦いの仕方でもお書きになっておられます。今の時代では想像もつかない、必勝法として、戦争になったら何はさておいても、自分の身の回りにある大きな川の橋をまず打ち壊して、敵がこちらへ渡ってこれないようにするのが一番だとされています。飛行機など近代的な兵器のない時代の悠長な戦いの必勝法です。
 背水の陣など戦術などの「心的作戦」が勝敗を大きく左右していた人中心の時代のお話です。
 如何に少ない軍隊で勝ち戦をするかが昔の戦略であったようです。そのための戦術が橋であったようです。
 高尚先生は、
「私は若い頃より、六韓・孫子・呉子と言った「からひと」(中国)の書物を沢山呼んで楽しく勉強した。だが、これらの中には、今の時代とは様相と異なる場面が沢山ある。だから、これらの昔の書物だけに頼るのではなく、それらを参考にしつつ、今の局面を十分に考慮に入れて、その場に適した、常に新しい近代的な戦略を練るのが大切だ。これは何も、戦争の時ばかりではない、『よろずのうへにおもひわたすべき事ぞかし』」
 と。

 私事(ひとりごと);
 中国の書物は、論語だけに限らず、孫子など幅広く色々な本も勉強されていたという事がよく分ります。これから推測すると漢詩も勉強されていたのではと思いますが、今のところ、私の目にする機会を持っていません。
 まあ、『松の落葉』だけをとっても、ものすご沢山の知識を持っていたこともよく分ります。だからこそ、本居宣長の高弟にもなられたと思います。

 理論だけでなく、実践をも重んじた学者でもあったようです。厚みのある人のように思えます。『賭す』とか、なんとか言ったと、伝えられているどこかの人にも参考にして欲しいような言葉です。
 冷静に事物を対処する人だったようです。

 これだけ書いていますと、下のほうから、家人の声、
 「安倍さん、やめたでー」と。
 とうとう諦めたか。もう少し早くにとも。でも、政治の世界って、本当に、一寸先は闇ですね。あれだけやる気があったものを、いびられどうしで、少々かわいそうに?

 さて、例の漢文の先生の言を聞きたくなりました。
 
 

論語と高尚先生

2007-09-11 16:53:56 | Weblog
 高尚先生の壮大さについて昨日書きましたが、今日もまた我;先生の偉さを書いてみます。

 「松の落葉」の中には、唐や天竺の国に関する事は殆ど書いてはいませんが、例外として、論語についてだけは、高尚先生は、次のようにお書きになっておられます。
 
 『からふみのももふみ千書あるが中に、ひとりぬけ出て、いはんかたなくをかしくめでたきは、此論語という書なりとこそ思われる』
 と、いう書き出しから、人間として当然行うべき姿を、あますところなく、すべて明らかに教え諭している書物で、天下に二つとないものだ。自分も小さい時から、よその国の本ではあるが、をりをりにこの書物を読んで、自分のために参考にしている、と。

 私事(ひとりごと);
 論語なんて端から馬鹿にして、やれデカルトだ、カントだ、ショペンハウエルだと、西洋書物にかぶれて、どれもこれも半端も半端、その入り口までにも到たってないにもかかわらず、『われ、 あり』だなんて、ひとかどの人物になったかのように胸を張って歩いていた自分が、なんて愚か者だったかと、今、つくづく思い知らされています。
 そんな反省もあって、論語でも少し読んでみようかなと思うのですが、まあ、友達の例の漢文の先生に、時々お話しいただくのが落ちだろうかなとも思っています。
 

儒・仏の道をしりぞけんとせざる

2007-09-10 10:19:37 | Weblog
 ややもすると「神の道」の研究者は、仏教や儒教などの学問については随分と、疎んじてきたようなのですが、『松の落葉』には、これについて我;先生は、次のように言っておられます。
 
 『私は、日本の国の昔から伝わっている神の道の心について、人に伝えている。自分と同じように神の心を説く学者の中には、神の道が優れていて、儒仏の道を悪く言って、そんなものを勉強したってどうにもならないと、言う人たちもいるようですが、自分は神の道の良いところも伝えるし、儒仏のいいところも伝えておる。
 他の悪いところは見ないで、いいところだけ見てそれを伝えていくのが、神の道の教えである。故に、自分は儒仏の道を払い退けたりはしません』と

 私事(ひとりごと);
 一方だけを見て、他を認めないで徹底的に排斥するという風が、どうも昔からの日本人と特色みたいに思っていたのですが、江戸の昔にも、こんなに汎世界的、近代的な思想の持ち主が、己の郷土の先輩にいたのかと思うと、またまた自慢がしたくて書いてみました。
 どこかの国の政治家諸君にも聞かせてやりたいような話です。
 まあ、とにもかくにも、藤井高尚というお人は、現代でも通じる壮大な考えの持ち主であったことは確かです。

重陽-菊-の節句

2007-09-09 15:04:17 | Weblog
 今日は九月九日、重陽の日です。菊の節句ですが、これは旧暦の時に合わせた行事ですので、季節的なずれがあり、感覚的には現代の生活とは合致しません。
 菊の花は、花屋さんの店頭などでは見ることが出来ますが、やっぱり11月を待たねばなりません。
 だから、赤・白・黄の3種類の菊に施して其の匂いを愛でる「きせわた」なんて出来っこありません。「10日の菊」なんて何の事も、今では、てんで問題にもされません。
 さて、今朝、8:30から、吉備津神社で、向畑町民の健康と安全をご祈祷してもらいました。まず、神官に祝詞を捧げていただき参加者全員のお祓いを受けます。
 この後、直ちに場所をお竈殿に移し、秋の町内の運勢を占って戴きました。
 神官(はふり)の祝詞が奏上されだしますと、一人の阿曽女のおうなが燃え盛るお竈の上に掛けられた大甑の中で、小さな綰物(わげもの)の中に入れたお米を左右前後に数回揺すります。
 ―「松の落葉」には、「米(よね)うちちらせばなりとどろくおとす」と、書いています―。
 すると、たちまちのうちに「うおー」という、世にも不可思議な鳴る釜の音が、神官(はふり)の祝詞の声をも打ち消さんばかりに、お竈殿一杯に鳴り響き、その音は連子窓を煙と一緒に潜り抜けて、吉備の小山や細谷川までにも達します。
 今朝の音もものすごく鳴り響き、お山の木々までもゆさゆさと揺すっているようでした。
 お竈殿への参拝前でした。丁度、富士宮市からの観光客のお人が、そこへお見えでしたので、『是非一度お聞きしていかれたら」と、お誘いしたのですが、バスの出発の都合があるのでしょうか、にこりともせず、そんな行事などどうでもよいという風に、何処吹く風のように、ぷいと、いなれていかれてしまいました。
 僥倖の時を「どうぞ」とお勧めしたのでしたが。完全に振られてしまいました。
 
 お竈殿での今年の秋の行事も滞りなく済んで、巫女さんが占なった綰物のなかのお米を4、5つぶづつお参りした全員に配ります。皆は、その場で頂いたお米を食べます。神からのお告げがそのまま身に付くようにと。
 なお、神主(はふり)は、神事に使用したお米10粒程度を紙に包んで全員に渡してくださいます。それを翌朝の御飯と一緒に炊いて家族全員で頂のです。

 なお、
 お祭りが済んで、みんなで神の残り物をお裾分けしてもらうのを「直会」と言います。これを『昔から「奈保良比」というならひたるにて』と、我;先生はお書きになっています。

政治家のみなさんは君子か

2007-09-08 19:31:59 | Weblog
 久しぶりに、例の漢文の先生を訪ねました。
 さて今日はどんな言葉が飛び出すかな。
 
 この先生、大の阪神フアンです、昨夜の巨人戦について、満面の笑みで、さも得意そうに、檜山選手の打撃フォームまで入れて解説していました。
 それからしばらくして、これも、また、例の漢文を上げて、色々と噂されている政治家の皆さんを批判して、彼特有のご説をのたまわれます。
 「中庸」という中国の書物に、君子の条件として、
 『内に省みて疚(やま)しからず、志に悪(にく)むことなし』
 が、あると言う。
 その意味は、「自分のことを反省してみて、心に疚しい事は決してしない。また、自分に尋ねてみて気分がわるくなるようなこともしない」と、いう意味なのだそうです。これが君子なのです。政治家も、また、君子でなくてはならないというのです。
 『「ついうっかり」だとか、「気が付かなかった」などというのは、志を悪むことですよ。皆、君子のはずですがね。あははは・・・
 と、・・・。」

 それにしても、我;高尚先生は如何に神官だとは言え、中国の故事についての随想が少ないですね。

 それについては、私がぼつぼつねぶたくなりました。後日またお目にではない、お文字でお会いしましょう。

昨日の「かたき」は今日の「みかた」?

2007-09-07 10:45:41 | Weblog
 今朝の新聞に、前回の総選挙で、郵政民営化騒動のあおりを受けて、いわゆる、小泉氏の刺客と戦って、岡山3区から選出された平沼氏が、『そのまま復党するか』と、報道されています。「いたって節操のない政治の世界だこと」と、これまた、『政治家とお金』と同様に、今更のように感じられます。
 突然の、昨日の「かたき」が、今日は「みかた」。
 これを、我々国民、選挙する者はどう受け止めたらいいのでしょうか。けじめも何にもありません。子供の喧嘩でさえこんな意味のようわからんような解決方法はありません。何か今の自民党はしまりがありませんね。
 「筋を通せないのが政治なのだ」と、政治家の先生は言われるかもしれませんが、人を選ぶ側に立って政治を考えていただかなくては、我々国民もたまったのもではありませんよね。

 さて、この「みかた」「かたき」について、我;先生は、
 『自分の側についてくれるのを「みかた」といい、漢字では〈味方〉と書いているが、これは《いみじきひがことなり》と。みかたとは、本来は、〈御方〉とかくのが正しく、官軍側(朝廷方)にあるものだけを言い、また、〈かたき〉とは、昔は、あそびがたき、碁がたきなどのように、ただ相手という意味であったのが、いつの間にか、仇(うらみある敵)という意味に変化していった』
 と、説明してあります。

 私事(ひとりごと)
 「みかた」とは天皇側の戦人です。今の世の中、天皇の軍隊なんているはずがありません。総ての国民が「みかた」だ、という解釈も成り立ちます。また、「かたき」とは、本来、遊び相手に言った言葉です。子供の世界の事です。大人である政治の世界にはあろうはずがありません。
 このように考えますと、今度の平沼さんの処遇も、所詮はお遊びです。行こうが戻ろうが、子供のような世界の事に、そんなに角を立てる必要はないようですね。
 一方、『かたき』の例として、高尚先生は、あまりにも俗っぽい言葉なので、言及されていないのだろうと思いますが、「恋がたき」なんて言葉もありますね。
 そうそう、「姫虎』で有名になった姫井由美子さんのことが、近頃、週刊誌を賑しているようですが、「かたき」でも、恋という字が付けば、少々問題が、ややこしくなるのではと思っています。
 
 季節はとっくに秋だというのに、依然として36℃を越す気温です。秋が来るどころか夏が、そのまま居続けています。
 政治の世界も、飽きもせず、なんだかんだと痴話げんかみたいなことばかり続けているようですね。地球と同じように、秋はこないのでしょうか。
 
 

日本一の美しい長押?

2007-09-06 15:44:34 | Weblog
 日本家屋の伝統的美しさを書きましたが、その内,日本で最も美しい「長押だ」と、言われていますものを、写真で、お見せします。
 それは、吉備津神社の拝殿の中に見ることが出来ます。拝殿に昇ると直ぐに、1尺6寸の円柱が八本左右に並び、それを繋ぐ長押の見事さは見る人の目をあっと驚かさせます。威風堂々として、「これって本当に神社建築なの」と、とっさに疑いの眼を差し向けざるをえないような、建造物が目の中りに飛び込んできます。
 その美しさは更にその上にある4つの大瓶束を立てた虹梁とあいまって、より大きな美しさを引き立てています。
 だからこそ「日本一」なのです。
 
 この「長押」について、高尚先生は、
 『なげしは母屋と庇との中のへだててのうえしたにあるものにて・・・』と、書いています。一般には、上だけが長押ように思われがちなのですが下の敷居にあたる部分も、やはり長押なのだそうです

 なお、
 『神のゐますところは、板屋草舎にすべく、瓦舎にはすまじきことになん』
 と、書かれているのですが、吉備津神社の拝殿の一部、裳階(もこしー雨だれよけ)は瓦葺で出来ています。
 まあ、広く解釈すれば、拝殿は神様を拝む場所ですから、神がゐます所ではないから、構わないのだということも言えるのですが、これも、吉備津神社の不思議の一つです。

かはら屋

2007-09-05 22:28:56 | Weblog
 庇、長押しきゐ、障子からかみ、天井、たたみといった純日本風の建物について我;先生は書いておられます。
 これらの建物様式から、何らかの、今までも、いやこれからもだと思いますが、日本人は、どこか故里といいましょうか、お袋さんの懐みたいな心の安らぎを感じてきました。だからこそ、色々な異議のある中でも、条例として制定されるのです。
 庇などと同じように、日本人の心を癒してくれるものに、「日本かはら」もあります。この瓦葺きは檜皮葺き(麦屋根、茅葺を含む)と、ともに日本建築の独特な屋根葺きの様式です。
 この瓦葺きについても、我;先生はお書きです。
 
 『瓦葺の家は、聖武天皇の頃から(8世紀の中ごろ)始まったとされています。(奈良の都など主要な都市だけ)当時一般の民家は、相変わらず板屋草舎が殆どであったようです。
 でも、お寺だけは、皆例外なしに、唐風の瓦葺き建築が用いられました。
 そんな中にあって、日本国中のどんな神様であろうと、大小のいかんを問わず、神様のゐます神社は、従来通り、やはり板屋草舎でつくられ、瓦舎にするところは皆無であったようです』
 と。
 
 そういえば各地のお宮さんに参ったのですが、拝殿は瓦葺のところもありますが、すべての神殿は板屋草舎のお社でした。そんな伝統が現代でも依然と続いています。
 神様は、やっぱり古風なのが好きなのですね。この古くささがかえって、人気を呼んでいるように思われます。

京都の景観条例

2007-09-04 15:19:17 | Weblog
 昨夜でしたか、京都府では、市街の景観を守るとかで、新たに景観条例が作られたと、ニュースに報じられていました。
 神社やお寺の屋根より高いマンションなどは作らせない、広告塔も制限されるとのことです。それと庇の長さも新たに決められたということでした。
 この欄で一度、近代の建築には、庇がないから、子供達のいじめも増えるのではと書きましたが、やっぱり日本の美しさは庇なしでは考えられません、『暑さを旨とすべし』とは兼好法師の言葉ですが,日本の気候風土にあった建物は、この庇なしでは語られないのでしょう。
 また、かみのま(奥の間)、しものま・障子・からかみ・たたみ・天井・床の間・違い棚・格子窓・ぬれ縁なども日本的な雰囲気を味わう事が出来る日本建築の特色だと思われますが、そんなものを排除した近代建築が、規格品という工法のため、地方色のない、全国どこでも同じの家ばかりになっています。
 広い庇、砌、坪庭などといった日本的な家が、段々と少なくなっている現状を、なんだか寂しい気持ちで眺めていました。が、この京都の景観条例をみて、さすが京都だなと、うれしい気分になりました。
 日本的情緒は、なんだか知らないが、はっきりと言葉にあらわせられないのですが、ある種の安心感を日本人に与えてくれるようです。
 吉備津神社にも、この頃、若い人が沢山お参りしている姿を見受けることが出来ます。どうしてだろうかなと思うのですが、このお宮さんが持っている日本的な美しさに惹かれるからではないでしょうか。ビルディングに囲まれている生活の中、時には、このような日本的情緒の中に浸ることによって、彼らのはじけそうな現代社会が持つ心騒ぎを癒してくれているのではと、思ったりもしています。
 「このお宮さんに来ると、何かしらないのですが、心を落ち着けてくれる風情があります。時々、ちょっとお参りしようかなという気分になるのです。拝殿の長押の雄大さにも心を打たれます」
 と、ある若者は話していました。

 

Y・K?って言葉

2007-09-03 17:39:21 | Weblog

 今では殆ど聞くことはないのですが、備中地方には、『あの人はボウチへ行ってしもうた』と、小さな子供に言って聞かせる言葉がありました。『あの人がどこかよその知らない所へ行ってしまった』という意味です。ボウとは某です。
 このように言葉にも時代時代の流行がありますね。 
 これとよく似た「ここではないどこか違ったところ」という意味の言葉を、我;先生の「松の落葉」の中に見つけました。それは「ことどころ」と。いう言葉です          

『京よりことどころへゆくを、下向とかかれ、今もみやこ人の関東下向などというはこれなり。又ものもうでしてかへるをば還向とぞいう、・・・還向、下向、かなにはともげことかく・・・』
 
 今朝、テレビを見ていましたらY・Kだかなんだか知らないが、そんな若者言葉を使ったニュースが流れていました。これも言葉なのでしょうか


菊のきせわた

2007-09-02 10:58:01 | Weblog
 9月に入りました、秋らしくない気温です。明日からは二学期も始まるといって、孫達が例の如く大騒ぎしているようです。
 さて、9月の声を聞きましと、どうしても、ここで取り上げなくてはならないのが「菊」です。藤袴との関係を知りました。「十日の菊」という言葉も、「六日のあやめ」と共にあるようですが、我;先生は、「藤袴」のことと一緒に「菊のきせわた」のことも書いています。
 それは、菊の花の上に綿を置いて、その香を移させて。移り香を楽しむ事なのだそうです。九月九日のこれも行事だということです。枕草子にも、
 『九月九日は曉がたより雨すこしふりて、きくの露もこちたくそぼち、おほいたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされたる』
 と、あるようです。
 平安の昔から日本の人たちも、からのくにから渡って来た「菊」を大層めでていたようです。菊香までを愛で、其の生活の中にまで取り入れるという情緒たっぷりの風習を楽しんでいたのだそうです。しかし、それが近年になると、そんな悠長な事には見向きもしない無味乾燥の『もの』中心の時代になっています。これが美しい国だといえましょうか。
 今年は、旧暦九月九日は、十月十九日だということです。私も一つ、この古き時代の、随分と粋きでよきお遊びを、真似てやろうかなと思っています。どのようにしてやるのかは不明ですが、前日にしつらえておいた着せ綿を、お盆か何かに置いて、それを見ながらお酒でも頂こうかと思っています。友達から頂いた越後のお酒がまだ手付かずにおいてあります。できれば一句でも。
 楽しみは多いことに越した事はないですからね。
 
 家人には、「ばかなことを」と、きっと笑われるだろうと思っています。

一日参り

2007-09-01 12:30:40 | Weblog
 今日は9月1日です。例の通り吉備津様の朝詣会があり、孫たち3人を引き連れてお参り方々、朝餉を頂いてまいりました。
 どうして、こんな会が吉備津神社で、催され始めたのかは定かではないようです。
 我;高尚先生の「松の落葉」の中にでもと思い、捜してみたのですがありません。
 ただ、「五節供」について書かれている中に、
 『七月七日に、鬼ノ間の北の障子から入って、朝餉を備えた』
と、あります。
 これが吉備津神社の朝詣会の元になったのかどうかは分りません。ちなみに、五節供とは、一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日に宮中などで行う、一年のうち五度の祝いの会なのだそうですが、吉備津様の朝詣会は、毎月の一日にあり(だから別名『一日参り』と呼ぶ)、この五節供のお祭りとは、いささかの其の趣旨は異にしています。
 でも、神前でお祓いを受け、新鮮な心になってから頂く朝餉は、本当に質素なものですが、何処でもは味わえない吉備津神社独特な舌触りのする朝の食事の会なのです。
 今日は、土曜日でお休みの人が多いということもあって、大変な繁昌振りでしあた。お食事までの待ち時間がいささか長かったのですが、そんなことは一向平気だという顔で畳の間にお座りになり、皆さんお待ちになっていらっしゃいました。